レポート|梅津庸一キュレーション展 フル・フロンタル 裸のサーキュレイター

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去る2019年11月9日、日本橋三越本店美術特選画廊にて展覧会「DIVERSITY OF JAPANESE AVAND-GARDE 戦後現代美術—その多様性」の関連イベントとして開催されたギャラリートークに登壇した梅津は、「出展作品の中では、どれが好みですか?」との問いかけに対して、以下のように語った。

「オノサト・トシノブの絵ですね。僕が主宰しているパープルーム予備校の作家、吉田十七歳の作品と似ているんですよ。20代の女の子が、全く見ず知らずのオノサトの作品と、作品レベルでコミュニケーションをとっているように感じます。今の美術のインフラでは、吉田十七歳の作品とオノサトの作品を並べることはできないですが、何かのマジックを使って、両者の作品を並べたいと思っています」(11月9日、日本橋三越本店美術特選画廊で行われたギャラリートークでの梅津の発言)

「DIVERSITY OF JAPANESE AVAND-GARDE 戦後現代美術—その多様性」展会場風景より。左に見えるのがオノサト・トシノブ作品

 

新型コロナウイルスの影響による二度の延期を経て、6月10日に開幕を迎えた「フル・フロンタル 裸のサーキュレイター」展。ステートメントの文言やパープルームTVでの発言を通して明示されているとおり、本展覧会では、「造形」をキータームに、全ての作品を等価なものとして並置することが試みられている。本展覧会は、「1, 瘴気とフィルター」、「2, 視線のエネルギー。見る・見られる。」、「3, ダークファンタジー」、「4, 景色の良い部屋」、「5, 不定形の炎症」の5章から構成される。各章で独立したテーマを掲げつつも、展覧された作品同士は、章立てを越えて呼応し合う。
展示空間には、作品の「造形」を介したリンクが無数に張られ、枚挙にいとまがない。故に、本稿では、個々の作品同士の関係性への言及は避け、本展覧会を大枠から捉え直すことに徹する。以降、上記ギャラリートークやパープルームTVでの梅津の発言を補助線として、本展覧会の「理念」と「意義」について捉え直しを図りたい。

「フル・フロンタル 裸のサーキュレイター」展の入り口に掲げられたフラッグには、「聡明なあなたの紡ぐ美術史を阻害するお仕事」の文字がレタリングされている。

 

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「全球的な視座に立てば、そこで生まれたものは、全て等価であるはず。しかし、それをマッピングし、序列をつけてしまうのが、人間の遊戯性です。美術は自然現象ではないので、人工物を人が評価したり、序列をつけたりする営みだと思います」(11月9日、日本橋三越本店美術特選画廊で行われたギャラリートークでの梅津の発言)

本展覧会で取り払われた、価値体系は如何なるものであろうか。ここでは、会場入り口に掲げられた、「聡明なあなたの紡ぐ美術史を阻害するお仕事」とレタリングされた黄緑色のフラッグに着目したい。
ここで名指されている「美術史」は、本展覧会の展示構成並びにステートメントの文言から読み取れるとおり、美術作品を「象徴言語」として読み解き、「様式」を見いだし秩序だった分類を志向する美術史研究のことであろう。本展覧会で槍玉に挙げられ、排除された価値体系の一つには、視覚芸術を言語に還元する美術史研究があるはずだ。
こうした、旧態依然とした研究態度に一石を投じた著作の一つとしてジョージ・クブラーの『時のかたち 事物の歴史をめぐって』が挙げられる。『時のかたち』では、「芸術概念を、人間の手によってつくり出されたすべての事物 」に広げることが提案され、事物の「かたち」に焦点を当てて歴史を編む術が説かれる。ステートメントに記されているように、「「造形」の変遷をあぶり出し「丸裸」にすること」を志向する本展覧会は、ある意味では『時のかたち』の延長線上にあるのではないだろうか。
梅津は、「パープルームTV第63回」にて、岡﨑乾二郎の著作『抽象の力』に言及し、以下のように述べている。

「岡﨑さんの『抽象の力』も意識はしています。あの本は素晴らしいんだけども、並んでいる作家が綺麗というか、美しい趣味というか。趣味によって振り落としているものがあると思うんですね。ともすると、一部の作家のプレゼンスを踏み固めるに過ぎないのではないか。主流ではない作家を取り上げつつも、根本的には制度内での試みです。僕は、そこからさらに進みたい」(「パープルームTV」第63回「梅津庸一キュレーション展 フル・フロンタル 裸のサーキュレイターとは何か? 前編」25分9秒頃〜)

美術家の池田剛介が指摘するとおり 、『抽象の力』は、『時のかたち』の理念を実践した著作としての側面を有する。故に、本展覧会では、『時のかたち』の理念を、岡﨑とは異なる角度から実践されているとも言えよう。

会場風景

 

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「作られた造形言語や、作品で試みられたこととは別に、人と人とのクラスタや、政治によって作品が分断されている状況をもったいなく思っています。そこで、これらバラバラのものが同時に存在している状況を、それぞれの生態系として見ていくのが面白い。見ている客層や、方向性の違うものが、同時に存在する。あたかも天の星座を仰ぐように美術を見たい」(11月9日、日本橋三越本店美術特選画廊で行われたギャラリートークでの梅津の発言)

「現代の作家、日曜画家、物故作家、セカンダリーと呼ばれる美術の市場を循環する作品たちが星座のようにゆるやかに結びつく」(「フル・フロンタル 裸のサーキュレイター」ステートメント)

2019年10月5日から10月14日にかけて、パープルームギャラリーにて「星座と出会い系、もしくは絵画とグループ展について」と題する展覧会が催された。この展覧会のステートメントには、「これまでパープルームギャラリーで開催してきた展覧会やこれから開催されるであろう展覧会が「星座」だとするならば、それがひとつにつながって大きなプラネタリウムのような芸術空間を形成することもあり得るのではないか」との文言がある。ともすると、本展覧会こそが梅津がつなぎあわせてきた「星座」が一堂に会した「プラネタリウムのような芸術空間」ではなかろうか。本展覧会の第5章「不定形の炎症」にて、展覧されているマケットは、「星座盤」さながらだ。
エジプト、メソポタミア、ギリシア、中国。古来、地域や時代ごとに、異なるグループ化に基づく星座が描かれてきた。今日では、1つに統一されているが、本来、星座は多元的であるはずだ。本展覧会で提示された「星座」も、数あるうちの一つでしかない。
そして、星座は民話や神話といった物語が付随することで駆動してきた。本展覧会を契機として生まれる言説、そして、パープルームの今後の活動を通して、梅津庸一が描く「星座」が如何なる「物語」を獲得し、どのように駆動していくのか注視したい。

第5章「不定形の炎症」にて展覧された展覧会場のマケット

*1 ジョージ・クブラー著、中谷礼仁・田中伸幸訳『時のかたち』鹿島出版会、2018年、14ページ
*2 池田剛介「モノ=作品はいま、どこにあるのか—『デュシャン』、ジョージ・クブラー『時のかたち』ほか」「10+1 website」特集ブック・レヴュー2019  (http://10plus1.jp/monthly/2019/01/issue-08.php )
※梅津の発言については、話し言葉を一部編集し、読みやすいものに変えた。

写真撮影:編集部

 

[展覧会概要]
梅津庸一キュレーション展 フル・フロンタル 裸のサーキュレイター
会期:2020年6月10日~6月29日
会場:日本橋三越本店本館6階コンテンポラリーギャラリー

※当初の会期は2020年4月15日〜4月27日であったが、コロナウイルスの影響で、5月13日~5月25日に延期。その後、再度延期がなされ、上記日程での開催となった。


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インタビュー|梅津庸一「今、必要なヘルスケアとは」https://artdiver.tokyo/archives/2848

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