インタビュー|塚本麻莉「前衛の光と影を明らかにする──高知の1960年代と現代をつなぐもの」

高知県立美術館で開催中の「高知の前衛 高﨑元尚と浜口富治」展。地方の前衛美術に対する再評価の機運が高まるなか、注目を浴びる同展が何を狙って企画されたのか。展覧会企画者であるキュレーター塚本麻莉氏にインタビューを行い、企画意図や展覧会の射程について話を伺った。

取材・文:細川英一(ART DIVER)


膨大な資料整理から浮かび上がってきた展覧会

細川 この度、「高知の前衛 高﨑元尚と浜口富治」が始まったわけですが、SNSでも局所的に熱い話題となっています。まずは、この展覧会を企画するに至ったきっかけをお話しいただけますか。

塚本 一番大きかったのは、浜口(富治)さんの資料を浜口家から大量に受け入れたことがありますね。

細川 それは、時期でいうといつ頃からになりますか。

塚本 本格的に調査に乗り出したのは2018年頃です。当時ご存命だった浜口さんの妻、浜口未喜子さんの許可を受けて、ご自宅や倉庫に保管されていた作品資料の調査を行ったり、一部作品の寄贈を受けました。その後、2021年に未喜子さんが亡くなり、浜口ご夫妻の旧居の解体が決定されたことが大きな転機となって、遺された作品や資料の回収が一気に進んだんです。

細川 一方の高﨑(元尚)さんに関してはどうでしょう。

塚本 2017年に高知県立美術館で高﨑さんの個展(「高﨑元尚 新作展─破壊 COLLAPSE ─」)があったのですが、私はそのサブ担当でした。会期中に高﨑さんが亡くなり、結果的にこの展覧会が高﨑さんにとって最後の個展となったのですが、この個展の後も、ご遺族から作品や資料の寄贈を段階的に受けました。

細川 今回の展覧会タイトルには「高知の前衛」と「前衛」が銘打たれていますが、塚本さんはもともと「前衛」とか現代美術といったものに関心があったのですか。

塚本 いいえ。学生時代は修復家になりたいと思っていて、大学院も東京藝大の文化財保存学専攻(保存修復油画)に進みました。卒業後は東京のオークション会社で2年働いて、その後、高知県立美術館で学芸員の募集があり、試験を受けて2016年に採用されました。学芸員として働く中で、アーティストとの接点も増え、現代美術の仕事に注力するようになりました。だから、現代美術の世界に入ったのも遅いんです。

細川 「高知」との関係性はいかがでしょう。

塚本 ここの学芸員になるまでは、まったくありませんでした。「高知の前衛」というタイトルにしたのは、高知の学芸員になってはじめて担当した企画が、「高知の洋画」「高知の版画」といったコレクション展だったので、その延長線上にあるシリーズという意識があります。それらのコレクション展の企画を通して、高知の戦前戦後の洋画・版画史の大きな流れを把握しました。特に、戦後洋画史の一部にフォーカスすると前衛美術運動が浮かび上がることが念頭にあったのと、ここ数年で高﨑さん、浜口さんの資料を段階的に受け入れていくなかで、これはきちんと検証して展覧会として公開しないといけないなと思い、それがこの展覧会へと結実していったということですね。

細川 浜口さんに関しては、これまで美術館規模の大きな展覧会もなく、今回が貴重な展示機会となりますね。僕自身、浜口さんの存在を知りませんでした。塚本さんが、浜口さんを取り上げようと思ったのはなぜでしょうか。

塚本 高﨑さんは一度当館で個展を行っているし、具体美術協会に参加されていたこともあり、県外、特に関西で作品を紹介される機会も多かった。しかし、浜口さんは、生前も没後もまとまったかたちで作品を回顧するような展覧会は開かれていませんでした。その作品資料の大半は、膨大かつ分類もされていない状態だったので、とにかくそれらを整理するところからこつこつ作業を始めました。それで資料の内容を見ていくと、これは重要なものが多いぞと気づき始めたんです。ご本人の作品だけでなく、各方面からの浜口さん宛の私信、写真、展覧会目録、さらには関係作家の作品群などがどんどん出てくる。なかでも、「赤い岩礁」運動に関わるドローイングや松澤宥の作品などは、浜口さんの活動を物語る資料群として歴史的価値が高いものでした。ざっくりと折りたたまれた紙を、「なんだこれ」と開いたら、それが松澤宥の作品だったりするんですよ。

会場風景より。中央に浜口富治の、「赤い岩礁」運動に関わるドローイングが見える。

細川 それはすごいですね。

塚本 浜口さんご本人の自伝(『海と赤の幻想』高知新聞社)はあるし、ご自身の自筆文献もわりあい残っていたものの、ご本人がそれを体系立てて分類整理することはなかったですし、第三者がその話を聞いたときに、どこまでが本当かがわからないところもあったと思います。だから周りにいた方々も、浜口さんの活動の真価がわかっていなかったんじゃないかなと。高知の方で、たとえば松澤宥と聞いて、どういう作品を作った作家かを知っている人は限られてしまう。だから、浜口さんの評価は宙に浮いていた状態でした。

細川 今回の展覧会は、そんな浜口さんを紹介する狙いがまずあってという。

塚本 そうですね。ただ、浜口さんはキャリア全体において前衛美術、あるいは現代美術の文脈を意識した活動をしていたわけではなくて、時代によって変化がある。一方で高﨑さんはというと、とても理路整然とした活動をしているんです。ふたりは確実にライバル関係でしたし、しかもまったく違った個性を持っていた。作品だけでなく、作家としての身の振り方もかなり違うんです。それならばこの二人を対比的に見せる方が、展覧会の構成としては面白いのではと考えたんですね。

「オペレーション論」を取り込む

細川 なるほど。ふたりを軸に据えることを決めたうえで、塚本さんがキュレーションのもうひとつの補助線としたのが、富井玲子さんのオペレーション論[1]ですね。今回の図録にも富井さんには寄稿していただいていますが、これはどういった考えがあったのでしょうか。

塚本 鑑賞者の感性に訴えかけるかたちで、作品の背景の説明をあえて省略して提示することも可能だと思いますが、例えば浜口さんの作品は、1960年代の高知ローカルの文脈を知らないで、「さあどうぞ」と見せても、やっぱり受け手は理解し難いだろうと思ったんです。だから、作品だけでなく、その作品がどのような状況や活動のなかで生まれ、社会に提示されていったのか、その回路まで含めて提示する必要があると考えました。なので、今回の出品作品の展示にあたっては、作品を「見て感じて」というだけではなく、周囲の「状況」も含めて紹介しようと組み立てていきました。富井さんのオペレーション論とは、ごく簡単に言うと、「作品そのものだけでなく、それが成立する、社会化するに至る回路や状況自体を含めて考えましょう」ということだと私は理解しました。今回の展示には、その手法がぴったりくると思ったんです。

細川 作品がわかりやすくなった一例をあげてもらえますか。

塚本 例えば、浜口さんが61年からはじめた、言葉を使ったコンセプチュアル・アート(メール・アート)の作品がありますね。これなどは、背景を切り落としたら、浜口さんが突然自分ひとりで思いついて作ったように見えるんですけど、実はその前に高知には喫茶店文化があって、喫茶店といった場を通じて、地元の詩人たちとの交流があって生み出されたものだと知ったら、意味がつながりますよね。

浜口富治《絵のない(意識の)画展─無意識のあそび 浜口富治個展─》1961年
(『高知の前衛 高﨑元尚と浜口富治』2026年、アートダイバー、p.48より)

細川  なるほど、言葉に対する親和性が高かった状況があってという。わかりやすいです。

塚本  もちろんこれは全ての作品に言えることですが、とりわけ浜口さんの作品においては効果的に機能していると思います。

細川 展覧会の構成として、細かく章立てをして、解説もみっちりと書かれている。鑑賞者は物語を読むように進んでいくことができますね。図録をつくるときも、この物語性を強調するために、単行本サイズに落とし込んでいったということもありました。

塚本 もう少し解説は削りたかったんですけど、浜口さんの今まで全然知られてなかった部分を紹介したくて、そこに重点を置いたら、どうしても説明が増えたという感じです。

細川 今回の展覧会を経て、ようやく浜口さんが研究の俎上に乗るということですね。

塚本  ローカルな美術全般に言えることだと思いますが、研究者が手薄なんですよね。

細川 そうなんですね。

塚本 だから、地方で活動した有力作家がいても、その基本的な年譜すら編まれてないという状況は、よくあることではないかと思います。高﨑さんに関しては2017年の時点で私自身が年譜を編んでいて、その活動の全体像をある程度把握できていたのですが、浜口さんの方はゼロに近い状態からのスタートだったので、まずは活動を時系列順に整理する作業が必要でした。浜口さんの資料調査はまだ終わっていませんが、展覧会の開催にあたり、今回はいったんここまでと「区切り」を設けました。あまりにも膨大なので……。今回扱えなかった部分は、今後当館の紀要などで紹介する必要を感じています。

細川 高知の前衛という意味でいうと、「こんなアヴァンギャルド芸術があった!―高知の1960年代―」(高知県立美術館)という展覧会が1997年に開催されていますね。

塚本  そうです。なので、高知の前衛美術運動の大きな歴史的枠組み自体は、過去の学芸員が30年前に整理した蓄積があるので、全くのゼロベースというわけではありません。

細川  そういえば、このときの図録に対してつっこみどころがあるそうですが。

塚本 はい。図録の各所にイメージカット的な女性の写真が載っており、私自身数年前は特に意識していなかったのですが、今回改めてこの図録を読み込んでいると、「これはいったい何?」と強烈な違和感が出てきました。

細川 たしかによくわからない(笑)。作品との関係性もなさそうだし、ただひとりの女性の写真を随所に挟み込んでいるんですね。なんなんでしょうね。

塚本 どうやら、かつての前衛美術家たちのたまり場だった居酒屋や喫茶店に、当時のルックを意識したメイクと服装の女性モデルを配して撮影したもののようです。当時の雰囲気を伝えるために居酒屋や喫茶店の写真を載せるのは理解できるとしても、あえて前衛美術と直接関係があるわけでもない女性モデルの、ちょっとお色気も意識したようなカットを載せるのは、現代的な感覚では首肯できません。前衛土佐派というグループに関しても、そうしたジェンダーの観点から見ると「え?」と立ち止まらざるを得ないところがありました。

細川 よく公式の図録でこんなことができたなと。「時代」という言葉でいいものかどうか。

塚本 当時の学芸員はこうしたカットの存在を疑問に思わなかったというので、時代の変化を感じますね。ただ、今これを見る私自身は疑問符がつく。この展覧会に取り上げられた一部の作家や関係者は、こうした写真を入れることに反対したようです。でも、最終的にはそのまま掲載された。裏を返すと、女性を一方的に「見る」対象として扱うことの構造的な問題に無自覚だったともいえる。一方で、この展覧会によって蓄積された研究があったから、今回の「高知の前衛」展が成立したのは確かです。しかし、こうした女性表象の扱いなどからもにじみ出るものにこそ、かつての前衛が持続しえなかった理由の一端があるような気もしました。そのあたりは自分の論考でも少し書いています。

細川 そういうことも含め、今回の展覧会では単に「古き良き前衛」の紹介ではなく、その中にあった問題点にも着目して紹介する意図があるわけですね。図録の中で言うと、証言者のインタビューがとりわけ面白くて、貴重な資料となったなと思っていますが、塚本さんは当初から図録にインタビューを入れたいとおっしゃっていましたね。

塚本 そうなんです。私が高知に赴任した時点では、浜口さんはすでに亡くなっておられたし、高﨑さんも2017年にご逝去されました。その後は、ご遺族の方々とやり取りしていたこともあり、当事者の作家本人よりも、作家の活動を見守っていた方々の思いに触れる機会が多かったんですね。そして、そうした方々の語りからしか見えないものがあるとも思いました。浜口さん、高﨑さんらの作品や活動について知ってほしいという思いがある一方で、それらすべてを無批判に褒めるのではなくて、今の時代だからこそ少し立ち止まって、その是非を考えるべきだよね、ということは公式の立場から発した方がいいと考えました。浜口さんには確実にカリスマ性があったし、かなり面白い「おんちゃん(土佐弁で「おじさん」の意味)」だったと思うんです。一方で、前衛土佐派を率いる際のガバナンスの様式には、力に任せた荒々しい部分があったということも、関係者のお話からは出てきていて。
前衛土佐派に参加していた作家でも、すごく浜口さんをリスペクトをしている方がいる一方で、そうでもない方もいて、同じグループのなかでも評価が分かれている。そういう部分も含めて公式の図録できちんと言及した方が、後々検証もできるじゃないですか。作品の評価と、作家の人間性や人間関係の仕分けは非常に難しいですが、関係者にも配慮しながら、伝えられることは示しておいた方が、やはり後世に作品や活動の実態を残す上で重要だと思いました。

前衛の裏側を伝える関係者の証言

細川 高﨑さんの妻である高﨑佳恵さんへのインタビューも、作品ができるにあたって、裏では彼女の献身的な協力があったことがわかるなど、とても興味深い内容でした。《装置》をつくるのに、佳恵さんが夜中に塩化ビニールをオイルに入れて曲げた話とか。

塚本 そうですね。作家のご家族というのは、作家ともっとも近い場所にいながらも、作家のご健在時には記述の対象として扱われることが少ない存在です。だからこそ今回収録することができた4人の証言は、作家の制作や運営の実態に関する「死角」を補う手がかりとなったと思います。
 展覧会の最後には、大木裕之監督による《HEAVEN-6-BOX 天国への6つの箱》(1995年)という映画の部分をループ上映しています。高﨑さんの「破壊」のパフォーマンスを記録したシーンなのですが、高﨑さんのもとに佳恵さんがレンガを持って走っていくんですよ。高﨑さんと佳恵さんのコラボレーションといった雰囲気もあって、そういう視点からだと、また異なる風景が見えてくる。もちろん高﨑さんがこのパートの主役ですが、その後ろにもうひとりいたんだということが映像には残されている。先のインタビューの内容と呼応するなと思って、この作品は時代が少し離れるけれど、この展覧会に出すことにしました。

細川 ところで、高﨑さんと大木さんってどんな間柄だったんでしょう。

塚本 大木さんが90年代に高知に来た時、高﨑さんは現役作家だったので、一緒に展覧会を行ったりと、交流がありました。高﨑さんはあまり上下関係にこだわらないというか、若い人ともわけ隔てなく一緒に活動できるタイプ。その包容力というか、繋いでいく力は非常に面白いと思いましたね。

川 お話を聞いていくと、展覧会は「前衛」の表側だけでなく、その周囲や裏側にある、これまで見えにくかった物語や状況を丁寧に拾い上げていくことで、今の時代に即したかたちで歴史化していくという点に重きをおいている印象ですね。

塚本 はい。作家たちが行った前衛的な試みを単に称揚するのは、比較的容易です。しかし、過去の実践を振り返ると、現代の感覚からは決して褒められない部分もある。そうした実態ときちんと向き合うことで、今後の前衛美術研究だけではなく、次の世代を生きる作家たちにとって参考になる部分もあるのではないかと。

会場に展示された高元尚作品。左手前に見えるのが《作品》(1962年)、奥は「装置」シリーズ。

アートコレクティブの限界と可能性

細川 その意味では、アーティストの原田裕規さんの寄稿「浜口富治の〈運営作品〉」は、かなりアクチュアルな内容ですね。原田さんに原稿を依頼したのはどういう経緯でしたか。

塚本 私個人が、以前に原田さんの個展をキュレーションしたこともあり、すでに信頼関係があったということもありますし、原田さんは『美術手帖』で「プレイバック」の連載[2]を行っていて、前衛美術運動全般に詳しい。あと、当初は浜口さんと松澤宥との間に関わりがあったということで、松澤作品を参照した制作を行っている原田さんならではの視点で、浜口さんの制作について書ける部分があるのではないかということで、打診を始めました。いろいろと話し合うなかで、現代的な視点から前衛土佐派を批評できるのではないかという方向に話が進みました。

細川 そこで出てくるのがアートコレクティブという切り口でしたね。1960年代の前衛土佐派の活動を、2010年代に起こったアートコレクティブという前衛運動と比較していくという。

塚本 はい、2010年代にあれだけ盛り上がった運動が一気に収縮していった力学が、じつは1960年代の前衛にもあらわれていたのではないかという問題意識が共有できました。2010年代に活発に活動した種々のアートコレクティブと非常に近いところにいらした原田さんからすると、コレクティブとしての前衛土佐派の「運営」を詳細に見ていく中で、リンクする点、あるいは批判的に見直すべきだと考えた部分があったのだと思います。 

細川 はい。この原田さんの論考、ここでは内容について触れませんが、今のアーティストにもぜひ読んでほしいテキストですね。
最後に、塚本さんご自身としては、この展覧会の企画者として、1960年代と2010年代の前衛をつなぐリンクをどのように考えていますか。

塚本 まず、新たな表現が生まれるにあたっては、それらが成立するための場所や土地ごとの条件があると思うんですよ。高知の場合で言うと、戦時の空襲と、その後の南海大地震で街が壊滅してしまい、その復興の過程で県民から文化的なものが求められて県展が生まれ、一方では喫茶店文化が花開き、そこには詩人や美術家がたむろしていて…といった、様々な条件が組み合わさることで、前衛美術運動が活性化しました。だから今回は高知の土地の条件をかなり丁寧に説明していきました。
先ほども話しましたが、たとえば浜口さんは、60年代初頭にその制作の方向が、高知の土地性や時代性とがっちりと嚙み合った瞬間があった。だからこそ、あんなに早い時期に、メール・アートやランド・アートの問題意識と通じる作品を生み出すことができたのだと考えています。こうしたことは、今の時代にもきっと当てはめることができる。新たな表現を生み出すために、自分の置かれた状況をどのようにうまく使い、時代をドライブするかということの参考になると思うんですね。様々な要因が絡み合って化学反応が起こって新たな表現が生まれ、運動となる。今回の展覧会は、一面ではそうした「オペレーション」の過程を高知版のケーススタディとして見せているので、アーティストにとっては、ある種の参考になるのではないかと。だから一般の方はもちろん、アーティストをはじめ、創作活動に携わる方にもぜひ見ていただきたいと思っています。高知なので、四国外の方からすると、なかなか遠いですが…。
また、アートコレクティブという観点から言っても、前衛土佐派のグループとしての活動や、そのなかに蠢いていた力学は、現代において、良くも悪くも参照できる要素があるはずです。例えば、その運営の方法ですよね。現代もコレクティブはたくさんありますけど、2010年代に盛り上がったものが一度収縮しているのはなぜなのか。前衛土佐派も内部の紛争があって瓦解してしまうのですが、どうして活動が終わりを迎えたのかを、彼らがおかれた状況や構造のレベルから考えると、より具体的な教訓が見えてきたりもする。
1960年代の「高知の前衛」がどうやって始まり、そして終わったのか。その始まりの条件と、終わりへと向かう理由を知ることで、これからの作家さんが新しい表現を生み出し、あるいは終わりを回避する、作り続けるためのヒントになるのではないかと思っています。

(2026年2月19日、オンラインにて収録)

1 富井玲子『オペレーションの思想―戦後日本美術史における見えない手』2024年、イースト・プレス
2 原田裕規による『美術手帖』での連載「プレイバック!美術手帖」のこと。同誌創刊70周年を記念して始まった企画で、『美術手帖』のバックナンバーを現在の視点からセレクトし、いまのアートシーンと照らしながら論じている。

※展覧会会場風景の写真は、塚本麻莉によるもの

高知の前衛 高﨑元尚と浜口富治

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