小林正人とはどんな作家なのか——画家の人生、芸術、そして『この星の絵の具』という体験

「アーティストのなかのアーティスト(Artist’s artist)」と称され、同時代の多くの画家がその作品や生きざまをターゲットとしている画家、それが小林正人である。東京国立近代美術館、東京都現代美術館、宮城県美術館をはじめとする日本の主要美術館のほか、S.M.A.K. /ゲント市立現代美術館に作品が収蔵されるなど、日本のみならず国際的にも高い評価を受けている。 本記事では、画家自身が10年がかりで編んだ自伝的小説『この星の絵の具』3部作を手がかりに、その人生と絵画、そして作品体験をたどる。

1 絵画との出会い、そして国立のアトリエ

『この星の絵の具[上]一橋大学の木の下で』では、高校生だった小林に画の道を示した「せんせい」が登場する。留年を重ねる小林に目をかけてくれた音楽の「せんせい」。「せんせい」は、小林の描いた画を見てみたいと、画を描くことをすすめた。
当時の小林は画にはなんの興味もなかった。ただ、「せんせい」には恋心を寄せていた。そこで小林はヌードを描かせてくれるなら画を描くと、思い切った賭けに出た。どうせ無理だと思ったが、「せんせい」は悩んだ末に、小林にその体をさらした。
はじめて手にした油絵具。時間の感覚も忘れ、目の前に横たわる輝くばかりの裸体をキャンバスに移そうとしたが、数時間、小林はなにもできなかった。そしてなにも描かれていない真っ白なキャンバスを見た「せんせい」は、

「これが小林くんの最初の画ね」

『この星の絵の具[上]一橋大学の木の下で』2018年、アートダイバー、p.104

と言ったのだ。
「せんせい」のこの言葉から、小林の画家としての人生は始まったといえよう。
上巻は、この高校生の時のエピソードを起点に、東京藝大を卒業した後の日々が綴られる。東京・国立にアトリエを構え、自身のスタイルを模索する毎日。「せんせい」が描けなかった体験は、小林の制作の根幹にある。それは、いかにして眼で捉えたイメージを、そのままキャンバスに移しとるかである。その問いは上巻の冒頭で1年間にわたって描き続けた《絵画=空》でも繰り返される。

頭の中の空の画は、普通にオイル・オン・キャンバスの体なんだよ。大きさは三〇〇号くらいに見える。だから三〇〇号のぴんと張ったキャンバスを用意したんだ。なのにどうしても今、アトリエで俺の眼の前にある白い三〇〇号のキャンバスと頭の中にある青い空の画がひとつにならない、ひとつに重ならない。一本の時空間でつながらないんだ。

『この星の絵の具[上]一橋大学の木の下で』2018年、アートダイバー、p.13

そうした絵画の探求の末に辿り着いたのが、完成されたキャンバスに描くのではなく、「キャンバスを張りながら手で描く」という描画スタイルであった。オイルオンキャンバスではなく、「オイル・ウィズ・キャンバス(oil with canvas)」。それは「空戦」と題された個展準備の最中に発見された。
国立のアトリエでは、ほかにも《天窓》《クリスマス ホワイト》《絵画の子》といった日本の現代絵画史に残る初期の傑作群が生まれていった。上巻では、そうした作品たちがどのように生まれたのかを、制作を行う画家自身と同期するかのように体験できる。

2 ヤン・フートとの邂逅、そしてゲントへ

国立のアトリエにこもり作品をつくり続けていた小林に、決定的な転機が訪れる。それが、ベルギーの伝説的キュレーター、ヤン・フートとの出会いだった。ワタリウム美術館でのキュレーション「水の波紋」展(1995年)のために来日したヤン・フート。小林の作品を扱う佐谷周吾がヤン・フートに運良く面会の機会を得て、画廊の作家ファイルを見せていた時、小林の画でヤン・フートの目が止まったという。そして「ぜひ実物を見たい」と言った。その時の様子が小説に書かれている。

「いやあ、すごかった、画廊に入ってきて食い入るようにきみの「三つの林檎」を見続けてさ、一時間後、俺はこの画を新しくできる美術館で買う! そしてこの画家をゲントに呼ぶ!って」

『この星の絵の具[中]ダーフハース通り52』2020年、アートダイバー、p.22

この「新しくできる美術館」というのが、建設中のゲント市立現代美術館である。ヤン・フートは初代館長になるという。中巻『ダーフハース通り52』は、そんなヤン・フートの誘いに応じて、小林がゲントの地に向かった1996年から2003年の話である。物語はこんな言葉から始まる。

ゲントに行くってことは
外で画(え)を描くってことだったんだ。
それはいろんな意味で〝外国〟。
国立のアトリエを出て
自分の外へ!

この星の絵の具[中]ダーフハース通り52』2020年、アートダイバー、p.13

異国の地に飛び込んだ小林が、国立時代には意識もしていなかった笑顔を他人に見せ、また自然にハグをするさまが描かれる。「俺はなんで日本じゃ少しもやらなかったことが、自然にやれてんだろう?」(中巻、p.23)と自分でも不思議に思うほど、小林の心は開かれていったのだろう。
舞台は国際的なアートシーンのど真ん中。到着するやいなや、ヴィト・アコンチの40メートルの作品が目に飛び込んでくる。ヤン・フートの部屋に行くと、そこにはリュック・タイマンスのペインティング。美術館のスタッフらとの濃密な対話のほか、グローバルなアーティストの交流がところどころで描かれる。
異国の地での制作は、小林にとってなにもかもが新しい挑戦だった。国際展デビューとなったサンパウロ・ビエンナーレは、小林に挫折を味わせた。他の作家たちが独自の方法論をもって自分の内と外との対話を行っているのに対し、自分は自分だけの世界に閉じこもっていたのではと自問する。ここから「ART」とは何かの模索が始まるのだ。

ヤン・フートはそんな小林を力強く後押しした。

「アイ・インバイティッド・ユー……わかるか、マサァト、きみをゲントに呼んだ
のはきみがかつてやったことが理由ではない。きみがやろうとしていることのためな
のだ」

『この星の絵の具[中]ダーフハース通り52』2020年、アートダイバー、p.46

中巻で小林の制作は大きく展開を見せる。そのひとつが「床置きの絵画」である。ゲント市立現代美術館の収蔵庫を使った「赤い扉」展で作品を設置するときに、ヤン・フートの導きによって、それは生まれた。

この瞬間、なにかがストンと腑に落ちた。
床置きの画か。
〝画を壁に掛けなくていいんだ!〞
画を壁に掛けなくていい。そんなこと考えてもみなかった!
二〇メートル先の壁に立て掛けてある二つの画の存在のしかたは俺がどこかでずっ
と夢見てた(かもしれない)画の姿だった。
なにも飾ってない、飾らない、できたままの画、〝床置きの画〞。
明らかに正面性がある絵画だけど、名づけられない感じだ。
〝絵画の子だ!〞と思ったよ。
名前のない……。

『この星の絵の具[中]ダーフハース通り52』2020年、アートダイバー、p83

「床置きの絵画」は、新しい画の始め方を引き寄せた。それは、「〝壁に一本の材木を立て掛ける〞―これが俺の新しい画の始まりだった。そしてこれが新しい床置きの画の始め方になる」(中巻、p.115)。
異国の光のもと、新しい画材を持って、新しい画の描き方で、ヤン・フートによって組まれる国際的な展示プログラムに次々と参加していく。そんななか、小林の制作は絵画の核心に近づいていく。そして、ゲント現代美術館が建てられていく工事現場で、小林は、芸術の啓示を受けることになるのだが……。

「赤い扉」展に出品した2点。最初の床置きの画。 横長の「赤い星月夜」(《Unnamed #2》)と縦長の「黄色い焔」(《Unnamed #1》)。
[右]《Unnamed #2》1996/oil, canvas, wooden frame/200×300cm/ 宮城県美術館
[左] 《Unnamed #1》1996/oil, canvas/230×190cm/ 個人蔵│2点ともphoto: Dirk Pauwels

3 新世界——スウェーデン、チュニジア、鞆の浦へ

中巻の終盤、小林にとって重要なもう一つの出会いが訪れる。グループ展に参加するために訪れたイタリア滞在中に出会った「シズカ」である。1年の遠距離恋愛を経て、シズカがゲントに引っ越してくる。新世界は、シズカとともに始まった。

シズカがいて画がある。今までの世界が変わる。シズカがゲントに引っ越してきて新世界が始まった。

『この星の絵の具[下]新世界』2026年、アートダイバー、p12

高校生の時に描けなかった「ヌード」。小林は、シズカをモデルとして再び挑戦する。「この星の絵の具でこの星のモデルを描きはじめた」(中巻、p.358)のだ。
ヌードペインティングができたあと、ふたりのもとに一本のメールが入る。それは、前年に参加したアルバニアの国際展で知り合ったスウェーデンのアーティスト、イルバからだった。スウェーデンのアートスペース、テンスタコンストハルのディレクターに就任した彼女から、個展のオファーが入ったのだ。それは、美術館の空間での制作を初めから全てオープンにし、アーティスト名も知らせず、展覧会というもの自体を問う試みだった。
下巻の前半は、このテンスタコンストハルの滞在制作から展覧会がクローズするまでが舞台となり、その空間を行き来する他者との対話が読みどころだ。
ここでの対話や対立は、小林の制作に大きな影響を与えることとなる。展覧会とは何か? 鑑賞者と作者との関係は? 時間とは何か? 芸術を語る言葉とは? 様々な問いが小林の頭を駆け巡り、他者とのかかわりのなかで、磨き上げられていく。
そして迎えた展覧会の最終日、小林は作品に重要な決断をすることとなるのだ。

下巻の後半は、さながら白昼夢のような様相を見せる。六本木、チュニジア、鞆の浦と、時空間を自在に動き回る魂の遍歴とでもいえようか。
ここで「愛」について触れた一節は印象的だ。最近の小林の活動を知るものであれば、2010年の個展タイトル 「LOVE もっとひどい絵を! 美しい絵 愛を⼝にする以上」や、2012年に保坂健二朗キュレーション展「絵画、それを愛と呼ぶことにしよう vol.9 ⼩林正⼈+杉⼾洋」などから、「愛」をテーマとしている印象を持つ人もいるかもしれない。しかし、小説では、そんな浅はかな思い込みを打ち砕く小林の姿勢が見てとれるのだ。

あのさ、俺さっき、生まれて初めて〝愛〞って言葉を口にしたんだよ。
言葉はもちろん知ってたけどその言葉を口にしたことはなかった。(中略)
でも俺はそれを言っちゃお終いと思ってたんだ。
声に出したら一瞬それが目に見えたような気がした。
それは愛自体が見えたんじゃなくて、
距離が目に見えたって感じだった。
目が眩むような、果てしない距離さ。(中略)
愛には触れずに表現することだ。
触れたらたぶんもうそこにはないからさ。

『この星の絵の具[下]新世界』2026年、アートダイバー、pp.179–180

愛と距離。この認識は、小林の近年の重要なシリーズ、ペア作品へとつながっていく。

『この星の絵の具』とは何か

10年がかりで編まれた3部作
『この星の絵の具』は、画家・小林正人が10年がかりで編んだ自伝的小説3部作である。

  • 上巻『一橋大学の木の下で』(2018年刊):1985–1996 国立、青春篇
  • 中巻『ダーフハース通り52』(2020年刊):1996–2003 ゲント、異国の地での自己のスタイルの確立
  • 下巻『新世界』(2026年刊):2003〜 スウェーデンと鞆の浦、美学と哲学

3部作の完結に際して、各界から熱量の高い反響が寄せられている。『この星の絵の具』の上巻を読んだ学芸員shnchr OSAKI氏は、以下のようにX(旧Twitter)に投稿した。「『この星の絵の具』を通読して今も深い感銘の余韻に浸っている。絵画を描くことの初発、根源的な衝動にこれほどみごとに言葉を与えたテクストを私は知らない。」(2019年1月24日)と。また画家の内海聖史氏は同じくX(旧Twitter)にて「面白くて苦しくて絵が描きたくなった。画家の言葉でこんなに物語を定着させられる異常性に驚き。」(2019年1月17日)と書いた。
本書は画家による小説であると同時に、「現代における絵画とは何か」、「芸術とともに生きるとはどういうことか」を問う、稀有な批評的テクストである。
3部作全体については、『この星の絵の具』 特集ページでも、詳しく紹介している。

読む小説ではない、絵画を描く体験である

しかし、ここまで読んできた人は、こう思うかもしれない。
「画家の自伝小説なら、これまでにもあったのではないか」と。
確かにあるかもしれない。だが、『この星の絵の具』が他の画家の自伝小説と決定的に違うのは、これが読者に「絵画を描く」という体験を起動させる点にある。
この本を読むと、画を描いたことのない人間でも、気がつくと、小林とともに画の眼前にいる。そして、画家が絵の中に入り込んでいくまさにその瞬間をも体験することができる。
小林の絵画は、キャンバスを張ってから描くという従来の絵画とはまったく違うところにある芸術である。木枠を立て、キャンバスをかけ、そこに潜り込むようにして、絵画を抱き抱えるようにして制作は進む。そのダイナミズムや、絵画のなかに生まれる多幸感などが、説明ではなく、文章のリズムと密度のなかに埋め込まれている。
これは、画家・小林正人が10年をかけて成し遂げた、文字を使った絵画と言えるかもしれない。本来、画を描く人にしかわからないはずの体験を、言葉という別のメディアに移し替えること。それは小説にしかできない仕事だろう。

👉 コラム記事を読む:読むことで、体験してしまう小説がある——ヘルマン・ヘッセ『シッダールタ』と『この星の絵の具』(coming soon)

小林は、この小説を書きはじめたきっかけを、佐谷周吾との対談で次のように述べている。

小林 東京藝術大学で人を教えるようになり、絵を描き始めた契機とかを学生に話す機会が増えた。でも俺は、昔話とか武勇伝みたいにそういうことを話す自分があまり好きじゃない。書いたほうがすっきりすると思ったんだよね。それと、やっぱり自分が絵を描くきっかけとなった、高校の憧れの「せんせい」のことが書きたかったんだ。
実際に書いてみて、自分のこれまでやってきたことが全部つながっているってわかった。それは書いてみなきゃわからなかったこと。そして、絵を描いているからつながるということも、初めてわかった。仮に自分が絵を描いてなかったら、全部バラバラの話だったね。

小林正人✕佐谷周吾対談「アーティストとギャラリストはともに歩む。」美術手帖WEB、2019年6月11日公開、https://bijutsutecho.com/magazine/interview/19953

小説を書いていくうちに、これまで歩んできた芸術家としてのキャリア、作品、生き方、出会い、それらすべてがひとつのものとしてつながって見えてきたという。それは10年間、同書の編集を続けてきた筆者にもつたわってくるものだ。

では、小林にとって絵画とは、芸術とはなんであろうか。

決定論と自由について……、
俺は何かが始めから決定されているなんて全く信じちゃいない。けど俺の線は遅れ
る、いったい何から?
自由ってのはよくわからないんだ。
画の中に入って手も身体も画に触って描いてる時、俺と画の距離はなくなりほとん
どゼロになる。そのとき俺が画のどこを何を見てるのか実はわかっちゃいない。

触ってるところは見てないものね(笑)。
でも手は動き、画は進んでく……。
それは画を空の方から見てるもう一つの目があるからさ。
こっちとかあっちだとか、もっと強くとか少ぉし弱く、って声が聞こえるんだ、ち
がう!そっちじゃない!とかさ、ほぼ真っ白な世界さ。〝離れろー!〞
俺はあわてて画の外に飛び出るんだ。
波打ち際を歩きながら俺は言う、誰にというのではなく……
そろそろ輪っかの外に出ないといけない
きっかけを失う前に。

〝魔法は究極の技術だ。
古代ギリシャ人が言うテクネ、つまりアートなのだ。〞

『この星の絵の具[下]新世界』2026年、アートダイバー、pp.169–171

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