著者インタビュー|小森真樹「史実と展覧会の『再演』の先に目指すものとは?」
第2次世界大戦直後の1946年、GHQによって開催され、占領軍関係者のみが入場を許された「日本の戦争美術」展。美術館を会場にしたこの展覧会には、戦時中に日本の画家によって描かれた「戦争画」が所狭しと敷き詰められ、これらの絵画が保存すべき「芸術」なのか廃棄すべき「プロパガンダ」なのかが検収されたという。映像作家の藤井光は、この「日本の戦争美術」展の史実を入念にリサーチし作品化。1946年の「日本の戦争美術」展を会場に再現した絵画展に、歴史史料からシナリオを起こした対話劇型の映像インスタレーションを加え、2022年に東京都現代美術館で〈日本の戦争美術〉展として発表した。さらにコロナ禍の影響が残る2023年には、ウェブ上のバーチャル展覧会として同展を開催している。 この2つの展覧会をふまえ、2024年3月に武蔵大学で平日5日間限定で開催されたのが、本書の元となった「美大じゃない大学で美術展をつくる|vol.1 藤井光〈日本の戦争美術1946〉展を再演する」である。ここでは、同展の企画者であり、本書の編著者である小森真樹にインタビューをおこない、小森の研究分野やこれまでの活動を伺うと共に、〈日本の戦争美術1946〉を作家でない立場から再演した経緯や意義を尋ねた。
テキスト:相嵜颯、細川英一(ART DIVER)
ー 小森さんの専門である「ミュージアム研究」とはどのような学問なのでしょうか?
ミュージアム研究というとなかなか聞きなれないかと思いますが、要するに博物館や美術館が「物」をどのように扱うのか、展示をする側の問題性に着目する比較的新しい学問のことを指します。
たとえば、私が博士論文で取り組んだムター博物館は、およそ150年前に設立された全米初の医学博物館ですが、そこにはさまざまな症例の人体がコレクションされています。元々はたくさんの症例を集めて治療法を研究するための専門機関だったものが、治療法の確立とともに研究機能がなくなり、しだいにコレクションのみが残る状況が発生しました。とはいえ、収集された人体はなかなか捨てることができません。そこでコレクションの意義を時代にあわせて更新する必要性が出てきました。たとえば、1970年代には地域の観光地事業の一環として、人体をモチーフしたオリジナルグッズが売られることになりました。もっとも有名なのは、結合双生児という二つの頭がくっついた症例をモチーフにしたクッキー型で、これは人気を博したと同時に、病気を商売にしている点で倫理的にどうなのかといった議論が巻き起こりました。研究のために集められた人体が「経済資本のリソース」として扱われ始めたわけです。
以降、ムター博物館では「人体をいかにミュージアムで扱うのか」といった議論が、時代や地域の人々の意向を含めたかたちで盛んに繰り広げられています。つまり、コレクションに関する議論の変遷を追いかけると、時代ごとの倫理的な価値観がおのずと見えてくる。私のミュージアム研究では、展示品のみならずミュージアムの制度的な議論に注目することで、社会全体の倫理の変化を捉えることを狙いとしています。
ー 博物館を通して社会の倫理について考えることが小森さんのミュージアム研究とのことですが、小森さんがミュージアム研究をするに至った動機について教えてください。
ミュージアムには優れた学術的知識を誰にでもわかるように「開く」特性があります。知らない地域のミュージアムに行くと土地の歴史や政治に関する高度な知識をイチから学ぶことができる。私にとってミュージアムとは、専門的な知見を効率的に学ぶことができる特別な環境でもあるのです。
一方で、ミュージアムの「開かれる」という側面を批判的にも捉えてみたいとも考えています。ミュージアムは学問を市民に公開するという近代以降の民主化、共和制と深く結びついており、ポジティブな面しか語られない傾向がありますが、はたしてミュージアムにおける「開かれる」性質は民主化にとって良いのか、もしかしたら阻害するという面がどこかにあるのではないか。こうした批判的な視点にあえて立ってみることが私のミュージアム研究の基本にあり、そのうえで、「いかにミュージアムで民主的な社会がつくれるのか」という問いがミュージアム研究をする動機になっています。
ー 小森さんはミュージアム研究のみならず、同時代の政治・社会の批評にも注力されていますね。
私の活動は大きく分けて、研究、批評、企画の3つで構成されています。アカデミックな研究のみだとどうしても立証できる範囲が狭くなってしまう。そこで、いわゆる論文的方法とは異なるやり方でクリエイティヴィティを発揮するために、批評をしたり、さまざまなイベントを企画しています。
批評に関しては最近、『楽しい政治 「つくられた歴史」と「つくる現場」から知る』(講談社、2024年)という書籍を刊行しました。ポピュラーカルチャーにどのような政治的機能があるのかについて興味があり、この本ではわざと大衆文化が担う政治性のポジティブな部分を強調して書いています。アメリカの地域研究を始めて気がついたのですが、アメリカでは人権問題やジェンダー的な摩擦を大衆文化から改善していくという動きがかなり多く見受けられる。ドラマや映画のなかには説明なく歴史を語るシーンが数多くあるのです。こうした作品に潜在した政治性を「見える化」することが批評の大切な役割のひとつだと考えています。日本はまだ「見える化」が少ない。それは作品や制度の中に埋没した政治性を読み解くための「文法」というものが、日本にまだ浸透していないということでもあります。アメリカの事例を日本語で紹介することによって、こうした「見える化」の過程が日本の様々な領域で起これば良いのではないかと思い、本を出版しました。
ー 「企画」の活動ではどのようなことを目指されているのでしょうか?
アートプロジェクトやワークショップの企画、WEBマガジンの編集、今回であれば展覧会の企画をするといったように、ひとつのメディアにとらわれずに素人的な感覚でアイデアを具現化することを大事にしています。
たとえば、今回の書籍デザインを担当してくれた三宅航太郎さんとは、一緒に「かじこ」(2010年7月-10月)というオルタナティブスペースを、岡山県の空き物件を借りてつくったことがあります。ここはアーティストが宿泊しながら制作できる場所であり、地域の人たちにとっては公民館として使えるといった「開かれた」多機能スペースを目指しました。「かじこ」に参加してくれたアーティストの西野正将君とは今度「美大じゃない大学で展示を作る」展の第2弾として今年の8月、展覧会をつくる予定です。
それから今回の書籍の起点ともなった企画として、触れなくてはいけないのが、一橋大学教授の牧田義也さんが主体となった「Project Intersection」(2018年)というワークショップです。藤井光さんとの最初のコラボレーションであり、私は牧田さんとともにモデレーターとなり、藤井さんはパネリストとして参加していました。クリエイティブセンター大阪で開催されたのですが、ここは元々名村造船所跡地という場所で、朝鮮から強制連行された労働者が「徴用工」として働いた忘れられた土地でもありました。藤井さんにはガイド役をお願いし、土地が持つ記憶を想起するといったワークショップをやってもらいました。
ー そういった企画の積み重なりのなかで本書籍の出発点になった藤井光さんの作品〈日本の戦争美術1946〉(2022年)をご覧になるわけですね。
そうです。この頃は「ミュージアム研究」をある程度続けた時期でもあり、展覧会を「する側」の構造から作品を分析するという独自のフレームを得られた頃でもありました。藤井さんの作品はそれまでも継続的に観てきたのですが、東京都現代美術館で展示された〈日本の戦争美術1946〉に関してはミュージアム研究の立場からみて極めて面白いと感じました。この展覧会や作品の意義については、本に収録した「『パブリック』ミュージアムから歴史を裏返す」に詳しく書きましたのでここでは触れませんが、まさか自分がこの作品を元に展覧会を企画するとは思ってもいませんでした(笑)。
美術館での展示の翌2023年に、藤井さんは「日本の戦争美術1946展 Cloud Exhibition」として、同展をオンラインに展開し、美術館で展示した作品群を小品につくりかえ、販売をおこないました。私はそこで「戦争画」のリーダー的存在だった藤田嗣治の作品をモチーフにした小作品を購入したんです。藤田は日本からフランスに渡って自らのアイデンティティを変えていくわけですが、そうした「移民史」という文脈はアメリカの地域研究をする私にとっては外せない領域でもあります。国家間でアイデンティティが裂かれた藤田の生に対し個人的に関心があったというのも購入に至った理由のひとつです。
そもそも美術館で展示した〈日本の戦争美術1946〉それ自体が、1946年に実際にあった「日本の戦争美術」という展覧会の「再演」であったわけですが、このときはさらにその「再演」をネット上で展開しているわけです。しかも作品が購入可能となっていて、私たちは藤井さんが再演をおこなっている「歴史」に参加する機会を得ることができた。そのあり方に感銘を受けて作品を買ったわけですが、そのことを詳しく論じたのが、「美術品をポチって戦争の記憶に参加する」という論考です。
ー 〈日本の戦争美術1946〉を購入することで、歴史に「参加」した小森さんが、そこからさらに一歩踏み込んで、「作者ではない」立場から展覧会を企画し、歴史の「再演」をしようとされたのはなぜでしょうか。
もともとかなり前からたくさんの制約がある総合大学の中で展覧会を企画することに興味がありました。コロナ禍の状況下ではオンライン展覧会を学生と一緒に企画したこともありましたが、いざ実際の空間で展示することに対してはクオリティの担保などの面から踏み切れずにいました。
そんななか藤井さんの〈日本の戦争美術1946〉の作品を購入したのですが、そこには思いがけず、映像作品の上映権がついていたんですね。本にも収録したシンポジウム内で藤井さんは、上映権をつけたことに対して、「誰でも気楽に自宅に展示していただきたい」「絵画だったら家で観たりしますが、インスタレーション作品だとなかなか難しい。この点をもう少し開いて、誰でも展示できる、作品の民主化を考え」たと語っています。実際は小規模の上映会などを想定していたらしいのですが、そこを私が展覧会にまで規模を大きくしてしまったわけです(笑)。ただ、実際やってみるとめちゃくちゃ大変で……。こんなに大きな展覧会になることは最初想定していませんでしたし、探り探りの状況でだんだんと規模が大きくなってしまった感じです。目の前にある条件によって思考が決まっていく、人類学でいう「ブリコラージュ」的なキュレーションだったと思います。私にとっては多くの制約を工夫して潜り抜ける展覧会制作に興味があったのだと思います。
この傾向は展覧会に合わせて開催したシンポジウムにおいても当てはまります。ちょうど展覧会開催の年に退官される香川檀先生は以前、藤井さんと《核と物》(2017年)という作品でコラボレーションしており、かつ退官イベントをちょうどされる時期だったのでせっかくだったらシンポジウムとして対談していただきたいと考えました。それに合わせて展示の内容を少し変えるなど、かなり偶然的な出来事を受け入れながら展覧会をブリコラージュしていきました。
ー 今回の本の中では「シンポジウム」の章にも大きなページを割いているのが特徴ですね。
展覧会のコンセプトを練り上げていくなかで、記録集をつくることは必須だと考えていて、そこで鍵になるのがアーティスト本人の言葉でした。藤井さんは常に作品そのもののような語り方をしますし、その言葉は多くの人にパワフルに届きます。ですから、彼の言葉そのものを本に掲載することが重要でした。
そして藤井光というアーティストは、メインストリームの歴史とは異なる歴史を開いていくなかで、それを他人がどう引き受けて再度語っていくのかということについても考え続けてきたアーティストです。この「他者に歴史を開く」というテーマそのものが今回制作した記録集のテーマとも重なっていて、それには学術的な論文よりも本人の対談のほうが適していると考えたのです。
収録したシンポジウムは2本。先に述べた香川檀先生と藤井光さんとの対談に加え、藤井作品を熟知してしており、以前の対談でも藤井さんの思考や作品の意義を優れた視点から引き出していた星野太さんをお招きしました。2本とも、その場限りのトークショウといった趣きではなく、未来につながる論点がいくつも生まれる素晴らしいシンポジウムが収録できたと思います。
ー 最後に、この本をどういう人に読んでもらいたいですか?
これまで藤井光の作品を追いかけてきたアートファンはもちろんですが、藤井光や〈日本の戦争美術1946〉という作品についてまったく知らなかった人にも読んでもらいたいですね。もともと1946年に開かれた〈日本の戦争美術〉展は、GHQによって開催され、占領軍関係者のみが入場を許された展覧会でした。この隠された史実を扱った藤井光の〈日本の戦争美術1946〉は、繰り返し再演されることで、その史実が開かれ、民主化していくものです。この本自体が、〈日本の戦争美術1946〉のひとつの「再演」ですが、より多くの時空間にこの本が「開かれる」ことによって、また新たな「再演」が起きてほしい。展覧会は平日5日間というエフェメラルなものでしたが、〈日本の戦争美術〉を歴史に残すためには、ISBNコードをつけ、本屋や図書館に広く行き渡ることが私にとって重要だったのです。日英バイリンガルにすることでコンテクストを複数化したり、単行本の形式をとり、また比較的購入しやすい価格帯に抑えることで多くの人に読んでもらえる仕様にしたことで、この本を読む人が増えて、どこかで思いもかけない「再演」が起こることを信じています。
(2025年3月1日、オンラインにて収録)
小森真樹(こもり・まさき)
1982年岡山生まれ。武蔵大学人文学部准教授、立教大学アメリカ研究所所員、ウェルカムコレクション(ロンドン)及びテンプル大学歴史学部(フィラデルフィア)客員研究員。専門はアメリカ文化研究、ミュージアム研究。美術・映画批評、雑誌・展覧会・オルタナティブスペースなどの企画にも携わる。近著に、『楽しい政治 「つくられた歴史」と「つくる現場」から現代を知る』(講談社、2024)、「『パブリック』ミュージアムから歴史を裏返す、美術品をポチって戦争の記憶に参加する──藤井光〈日本の戦争画〉展にみる『再演』と『販売』」(artscape、2024)、「ミュージアムで『キャンセルカルチャー』は起こったのか?」(『人文学会雑誌』武蔵大学人文学部、2024)、「共時間とコモンズ」(『広告』博報堂、2023)、「美術館の近代を〈遊び〉で逆なでする」(『あいちトリエンナーレ 2019 ラーニング記録集』)など。企画に、『かじこ|旅する場所の 108 日の記録』(2010)、「美大じゃない大学で美術展をつくる vol.1|藤井光〈日本の戦争美術 1946〉展を再演する」(2024)、ウェブマガジン〈-oid〉(2022-)など。「ミュージアムで迷子になる」(太田出版)、「包摂するミュージアム」(しんぶん赤旗)連載中。