この世界を描くということ|見ること、描くこと
アートが極限まで多様化していく現在において、「描く」ことにどんな意味があるのだろうか?
群馬県を拠点に活躍する画家・水野暁(1974–)は、画業を通して一貫してそのことに向き合ってきた作家である。
ここでは、アートダイバーから刊行する作品集の冒頭に書かれた画家自身のステートメントを引用し、そのひとつの可能性を提示する。
「見ること、描くこと」とはどういうことなのか。
対象物を目の前にしながら描き留める。 シンプルでプリミティヴな行為だが、果たして人間は、そのことをやり尽くしたと言い切れるだろうか。 写真の登場以来、一見、再現的な絵画の意味は限りなく失われてしまったとも見受けられるその一方で、様々な技術やメディアが発達すればするほど、 そこに付随するアナログならではの側面が露わになるとともに、未だ開拓の余地があることも明らかになってきているのではないかと考える。
その考えを元に、常に対象の前に立ちそれを描き留めようと試みる。その際、視覚のみならず触覚などの五感も働かせながら描くことになるだろう。対象が屋外にある場合、例えば樹や山、 風景などにおいても、その場に滞在しながら描く “現場制作”を軸にした取り組みを行っている。
その制作過程において、必然的に時間の経過や季節の移ろいも受け入れざるを得ず、その都度描き重ねる・直すことで、図らずも現れる間違いやズレなどの“辻褄の合わなさ”、そして描く際に発生する絵画特有の“遅さ”なども絡み合いながら、それらが絵具の層として画面に織り込まれることにも意味を見出そうとしている。
視野を広げて言えば、「この世界をどう描くか」という試みでもあり、その結果、絵画におけるリアリティの追求、そして写実表現の可能性を示せたらと考えている。
水野 暁
(『「水野暁 視覚の層|絵画の層」 作品集』アートダイバー、2025年、pp.4–5より抜粋、編集)

