物語は、今から30余年前、著者がメトロポリタン美術館で運命的に出あった一双の屏風から始まります。江戸時代の絵師・尾形光琳によって描かれた《八橋図屏風》。それは、著者がはじめて自国「日本」の姿を実感した瞬間でした。
21世紀に入って世界の軸が徐々にアジアへと移り、日本にもインバウンドの波が訪れはじめます。一方で、日本文化が「侘び・寂び」「アニミズム」「武士道」といった紋切り型の言葉で語られるほどに、著者の中では違和感がくすぶっていました。あのメトロポリタン美術館で見た屏風に脈打っていた生命は、それらでは言い表すことのできない何かだったからです。
日本文化の土台には、まだ見落とされているものがあるのではないか。脈々と深部に流れ、豊かに咲き誇っているのに、ありありと描かれているのに、気づかれないでいた「暗号」のようなもの。著者が見出したのは、1500年もの長きにわたり日本文化に強い影響を与え続けてきた「法華」でした。法華経の影響は、文学、演劇、音楽、舞踊、茶、美術工芸といったあらゆる領域に表れているにもかかわらず、これまでほとんど語られることがありませんでした。
例えば茶の湯は、従来、禅との関係性が強調されてきました。しかし、著者は千利休が法華経と日蓮を信奉する法華衆のネットワークの中にいたことを本書で明らかにしていきます。動乱の桃山時代に絢爛たる芸術を開花させた茶人・絵師・職人たちの多くが法華衆だったことは、偶然なのかあるいは必然だったのか。
暗号を解く旅は、本阿弥光悦、俵屋宗達、尾形光琳、葛飾北斎ら、近世の日本美術史を彩る巨匠へと向かいます。さらに、仏教発祥の地インド、シルクロードの敦煌莫高窟をめぐりながら、著者の眼差しは日本だけでなくアジアの記憶の深部へと注がれていきます。
現代美術家・宮島達男の著作の編集にも携わってきた著者は、日本を貫いてきた法華思想が今もなお普遍的なメッセージとして世界を魅了する理由を語ります。
他者へと開かれ、生と死の深淵へ人々の洞察をいざない、対立を転換していく「美」。
本書は、日本の底流に脈々と受け継がれてきた「法華」の水脈を辿り直し、今日と未来への可能性を展望するスリリングな日本文化論です。