美大受験をする者なら誰もが経験する石膏デッサン。とりわけ美術予備校において、その描画メソッドは時代とともに進化を遂げており、短期間の集中的な修練で見違えるほどの優れたデッサンを生み出すことができるようになっている。
しかし、いざ美術大学に入ってみると石膏デッサンは不当な扱いとされているのも実情である。教授によっては、「石膏デッサンの技術は、創作活動には有害だ」とすら指導する。美大受験に必須であった「石膏デッサン」は、大学では一転不要なものとされ、学生はその狭間で立場を問われる。
はたして、石膏デッサンは必要なのか? こうした議論は、教育者側からも作家側からも続いてきたが、いまだにその決着を見ることはない。「石膏デッサンは、制作における基礎体力をつける筋トレである」とか「ものを見る力をつけるにはこれほどいい教材はない」という肯定派がいる一方で、「石膏デッサンは、アカデミズムの悪しき因習で、自由で創造的な創作活動を阻害するものだ」「技術はもはやアートには必要ない」という否定派の意見も根強い。
本書の目的は、こうした膠着状態にある石膏デッサンへの言説を、その受容からいま一度振り返ることで、有効な議論へと発展させ、より構築的な美術教育史の理解を進めることである。前半の1章から3章で石膏像について論じ、後半の4章から6章で石膏デッサン教育について論じるという構成をとっている。そのなかで、これまで正体が不明とされてきた石膏像のオリジナル彫刻、日本における石膏像収集の歴史、近代と現代での石膏デッサンの違い、日本で石膏デッサン教育が普及した経緯、などの様々な事象を明らかにする。
これらの議論を通じて、石膏像の100年を、絶えざる価値観と制度の変転の中で繰り返し新しい定義を与えられてきた流動的な歴史として再定義し、日本における西洋文化の受容が、単に「進んだ」西洋の価値観を日本に不完全に移植したものでなく、その曲がりくねった歴史で構築された、対話的で越境的な石膏デッサン言説の生成過程であることを示していく。
不毛な「石膏デッサン是非論」の先にある新たなアートの創造のためにも、これまであまり日の当たらなかった「石膏像と石膏デッサン」について深く掘り下げることで、近代の美術教育が遺してくれた蓄積を反芻する試みである。教育者はもちろんのこと、美大受験を控えた受験生、さらには日々制作と向き合うアーティストに読んでもらいたい。
※なお、本書は、2016年に三重大学出版から刊行された「石膏デッサンの100年」の改訂版である。初版300部という刷部数ということもあり数ヶ月で完売となったが、その後再販の予定もなかった。しかし、同書を届けるべき人がまだ世に多くいることを考え、著者と相談のうえ、アートダイバーにて改訂版を制作し、引き続き販売を続けることとした。快く改訂版の販売を許諾してくれた三重大学出版にこの場を借りてお礼を申し上げます。