編集雑記|アートは利己主義にどう立ち向かうのだろうか

東日本大震災からの復興をテーマに、「ART」「MUSIC」「FOOD」の3つの柱で構成される総合芸術祭「リボーンアート・フェスティバル」。その公式記録集の刊行を引き受けることになって、今回で3冊目となる。
2017年の第1回展の記録集の刊行が2019年、2019年の第2回展の刊行が2021年、2021年から2022年にかけて開催された第3回展の刊行が2025年、と会期終了から2年〜3年後に刊行するというスケジュールになっている。出版のセオリーからすれば(=少しでも本を売ろうと思うならば)、展覧会の記録集は会期終了後、鑑賞者の記憶が薄れぬ間に出版するのが一般的である。その点からすれば、リボーンの記録集はだいぶのんびりしている(笑)。これはリボーンアート・フェスティバルが1度限りの祭りではなく、継続的に開催されることを前提にスケジュールが組まれていることも関係している。復興をテーマにかかげる性格上、継続こそが重要なのは言うまでもないだろう。だから2年に1回の芸術祭をメインとしながらも、芸術祭が開催されていない期間も各所で「ART」「MUSIC」「FOOD」のイベントがしばしばおこなわれているし、この記録集も、本祭の閉幕期間にリボーンアート・フェスティバルを周知するイベントのように機能しているように思う。

さて、今回の記録集に収めた「リボーンアート・フェスティバル2021-22」はもともとは2021年に開催予定であった。しかし、コロナ禍の影響もあって、会期を前期(2021年)と後期(2022年)の2つにわけている。このように開催に苦戦する様子が窺える一方で、会場には女川地区や復興記念公園周辺などが加わり、芸術祭がバージョンアップされているのは、ほんとうに素晴らしいことだ。今回出た記録集も280ページと過去一の厚さ(2017年が196ページ、2019年が224ページ)である。正直、回を重ねるごとにページ数が増えていくのは、ここ数年の紙や印刷費の高騰を考えると版元としてはヒヤヒヤものであるが……(たくさんこの本が売れることを信じたい)。
思い起こせば、ワタリウム美術館の会議室でおこなった第1回展の記録集出版の打ち合わせでは、「ART」部門のアーカイブの重要性をみなで共有したところから始まった。そうして「ART」部門に特化した1冊目の記録集ができたのだが、2回目からは事務局からの強い要望もあって、この芸術祭の特徴である「FOOD」や「MUSIC」パート、さらには開催されたイベントなどの記録も収録していくことになった。それらが「とりあえず撮った」だけの写真ではなく、高いクオリティの写真であることも注目ポイントだろう。完成した本を見ていくと、なるほど「FOOD」や「MUSIC」パートの重要性がよくわかる。自社刊行物なので我田引水的だが、いわゆる芸術祭とは一線を画するリボーンアートならではの、すごいドキュメントブックだなと思う。そこには私たちの生活から離れてしまったハイアートの冷ややかさ、国際マーケットに依拠したギラギラ感はなく、古来、人とともにある芸術本来の姿が垣間見える。それは第1回展で中沢新一が考案した「Reborn-Art/生きる術」というキーワードとも深く共鳴するものだ

「リボーンアート・フェスティバル2021-22」では、「利他と流動性」というテーマがかかげられた。「利他」という点で言えば、芸術祭が開催された2021-22年時点よりも、「今」のほうがさらにぴったりくる印象である。自分さえよければいいという利己主義とかエゴイズム全盛な現在、「利他」の精神はあわよくば「損をしてしまう考え方」と見られることも多い。そんな時代に芸術は、「利他」の精神を蘇らせるような有効な問いかけをすることができるのだろうか。本書に収録されたテキストから少し内容を拾ってみよう。
前期キュレーターの窪田研二は、芸術作品が内包する豊かな社会への「想像力」を、鑑賞者が「祭り」(芸術祭)を通して体験し、そこで各々が会得した未来への想像力を社会へと持ち帰ることで、利他的な社会への変革を促すとする。
寄稿者の椹木野衣は、「石巻」という地名の由来のひとつである通称「巻石」を見た印象から、独自の利他論を展開。巻石を起点に逆流したり渦を巻いたりする川の流れと、リボーンアート・フェスティバル2021-22を巡る時の流れを結びつけ、「利他」が生じる特殊な場についての物語をつくりあげた。
個人的に深く興味を持ったのは伊藤亜沙の論考である。アメリカのノンフィクション作家レベッカ・ソルニットの「災害ユートピア」(=利他的な行為が現れる)を引きながら、しかしそれらがときに偽善的な行為と見られる可能性や、継続の不可能性を指摘。一方で、今回のRAF2021-22では、作品設置にセンシティブにならざるを得なかった復興記念公園周辺の展示において、作品が鑑賞者の隠れ家的なものであったことに注目し、そこでこそ人は他者の視線を気にせず、自由な想像力を羽ばたかせ、そして利他の感性を発揮することができるのではないかと述べる。いわゆる問題解決的なアートには疑問符がつくが、こうしたアートのあり方には可能性を感じる。
後期キュレーターの和多利恵津子・浩一の論考は、また違った意味で興味深い。第1回からキュレーションを継続してきた唯一の存在であり、復興のプロセスを長年にわたり見続けてきた二人である。これまでは震災の直接的な風景を見せることを避け、復興後への希望など間接的な表現を扱ってきたのだが、震災10年を経た今回は震災を正面から表現することを目指したという。詳細は記録集に譲るが、一筋縄ではいかない作品展示にまつわる交渉のシーンなどは、和多利キュレーションの真骨頂ともいえるもので、ぜひ読んでもらいらいところである。そして、リボーンの活動を続けるにあたり、「文化の力を本当に信じてくれる仲間」「とりわけ国や地方自治体の担当者」が不可欠と文章を終える。リボーンアート・フェスティバルは、国や地方自治体ではなく、一般社団法人APバンクが主催である。一団体がこの規模の芸術祭を企画し、継続するのはものすごいことである。また、実行委員長の小林武史は「10年は続けたい」と以前から言っている。2017年の開催から10年と言えば2027年だ。ビエンナーレ形式での開催を考えれば、あと1回か2回といったところだろう。そろそろ国や地方自治体もリボーンアートに本格的な協力をしてほしいと願う。

リボーンアート・フェスティバル2021-22 公式記録集

関連記事