アートにおける「前衛」とは何か?
美術の道へと進んだきっかけをアーティストに尋ねると、そのほとんどが「小さい頃から絵を描くのが好きな子どもだった」と答える。「好きだから描く」、シンプルだがこの強い動機に導かれて美術への道を進んでいった末に、辿り着いた現代美術の世界は、「好きだから描く」ことが否定される世界であり、多くのアーティストの卵は戸惑うこととなる。そこで肯定的に語られるのが「前衛」という概念である。もともとは戦争用語である「前衛」が、なぜ現代美術において重要とされるのか。簡略に述べるなら、美術における「前衛」とは、未踏の地を歩むエネルギーのことと言い換えてよいだろう。そしてその前衛の精神によって生まれた新たな表現を、時系列に並べたものが「美術史」である。中ザワヒデキ著『現代美術史日本篇1945-2014』は、戦後の日本の現代美術史を網羅的に扱う教科書的な内容である一方で、底流には「前衛」精神への賛美が脈々と息づいている。つまり、日本の現代美術の歴史を「前衛史」として捉え直したものなのだ。そのことが端的に書かれている序文をここに引用し、中ザワがこの本に込めた意図を紹介する。
細川英一(アートダイバー)
改訂版 序:日本現代美術史の魅力
文:中ザワヒデキ
「一生懸命、真面目に描くということが、いかに自分に甘ったれたことか、誠実で糞真面目な絵が、いかに自分をかわいがった欺瞞的な行為か、それが、だんだんよーくわかってきたのです。」
菊畑茂久馬『反芸術綺談』
多少なりとも芸術を深刻で誠実なものだと信じていた若い時分の菊畑茂久馬が、独立展に入選した自信作を桜井孝身らに見せたところ、ゲラゲラ笑われたというエピソードの一節である。菊畑も桜井もこの後すぐに九州派を組織することとなるのだが、私にとって前衛美術とは、否、美術とは、本来このようなものだ。優等生なんかダメ、なぜなら努力すれば報われるようなわかりきったお勉強やスポーツなどではないから。芸術は厳しい、なぜなら血の滲むような努力も博識もその価値を一切保証しないから。芸術は素晴らしい、なぜなら未知のその何かに自身の価値観を揺さぶられ、認識さえ更新させられるから。軍隊用語出自の「前衛」とは、未知の地平に最初に足を踏み出すことである。それゆえ「今までになかった絵をかけ」と吉原治良が言い続けた1954年設立の具体は、まさしく前衛だった。そして1957年に結成された九州派の前述のエピソードも、既知の領域への収まりを断固拒否する前衛の徹底だ。
九州派も芦屋の具体も東京の美術界から当時全く無視されたが、それすら前衛の本質だ。評価軸のまだない地平に足を踏み出す以上、照合すべき評価軸がないのだから、評価は当然され得ない。ジレンマだ。近年の再評価なんて後出しジャンケンに過ぎない。
東京では、1949年に始まった読売アンデパンダン展がもともと前衛美術と相性が良かったが、それは公募団体中心の既成画壇からの踏み出しが意図されていたからである。と同時に、先行する1947年に始まった日本アンデパンダン展との対比もあっただろう。後者は共産党色が強く、左翼的スローガンを左翼的評価軸に沿って優等生的に描 くリアリズム絵画の牙城だったのだ。1957年のアンフォルメル旋風を契機に、読売アンデパンダン展は一挙に過激な前衛表現の格闘場と化し、例えば九州派はゴミを出品しようとして受付拒否された。そんななか1960年に生まれたのが、モヒカン刈りの篠原有司男らによるネオ・ダダイズム・オルガナイザーズ(ネオ・ダダ)だった。
「真摯な芸術作品をふみつぶして行く二〇・六世紀の真赤にのぼせあがった地球に登場して我々が虐殺をまぬがれる唯一の手段は殺戮者にまわることだ」とのマニフェストからも、「真摯な芸術作品」との訣別が明らかだ。九州派もネオ・ダダも美的であることを拒否し、作品のタブロー的定着にアンチを突きつけた。彼らが「反芸術」と呼ばれるのは前衛の極限としての熱い位相においてであり、またそのせいで往時の作品はほとんど残っていない。
美術史はここで終わらない。1963年に登場したハイレッド・センターはモヒカン刈りではなくあえてスーツで正装し、ゴミを出品するのではなくあえて街路を清掃した(「首都圏清掃整理促進運動」)。1964年のヤング・セブン展で紹介された立石紘一[タイガー立石、立石大河亞]は、タブローを作らないのではなくこれ見よがしに大富士山図を仕立てた。そして当の篠原有司男は次にイミテーション・アートを標榜し、今までになかった絵を描くのではなく「他人の真似をしよう」「他人の絵というのはすばらしい」と裏切った。
これらは冷たい位相の反芸術である。前衛の極限ではなく、前衛との断絶だ。前衛がついに前衛自体を拒否し、否定の否定が肯定と同じ外見となった。とはいえ、メタレベルではこれも前衛という既成領域からの踏み出しという前衛である。
こうして前衛は回収されないまま更新され続ける。他にもゼロ次元、松澤宥、秋山祐徳太子、もの派等々。「自爆につぐ自爆」と時に形容される日本の戦後前衛美術は、かように凄まじく本質論的で、われわれの認識を根底から揺さぶり魅了する。
(中ザワヒデキ『現代美術史日本篇1945-2014』アートダイバー、2014年、pp.4-5より抜粋、編集/初出:中ザワヒデキ「日本戦後前衛美術史—前衛は更新され続ける」『月刊美術』2013年8月号、pp.48-49)