編集雑記|スマホ内視(寄り目)を整体で治した話

目のトラブルは、視覚芸術に関わる人にとって致命傷とも言えるもの。歳とともに、目の病気のリスクは上がり、私の周囲でも目のトラブルの話が頻繁に聞かれるようになってきた。
今回、私は「内視」という症状に3か月ほど苦しんだ。内視とは聞きなれないが、知られた言葉にすれば「寄り目」である。最近ではスマホの見過ぎによる「スマホ内視」が増えているらしい。しかし、ネットで調べても、それがいつ治るのか、またどうやって治るのかという情報がほとんどないことに驚いた。そこで、自分の体験談を記すことで、目のトラブルの対処法として参考にしてもらえればと思う。


8月18日

ある朝目覚めてみると、目の前のものすべてが二つに見える。日曜日だった。5歳の子どもを遊びに連れ出さなくてはならず、電車に乗って40分ほどの宇宙科学館へと向かった。駅のホームへと向かう階段の一段一段すべてが二重に見えて、どこに足を運べばよいのかわからない。足を踏み外す恐怖を覚えた。

なんとか目的地に着いて子どもを遊ばせている間に、「ものが二つに見える」とスマホで検索した。すると脳卒中をはじめとした脳障害の可能性がずらずらと出てくる。私はひとり親でありひとり出版社であるから、もし自分に何かあったら子どもの世話も仕事もアウトである。時間が経つほどリスクは増すということで、子どもをなだめて早めに外出を切り上げた。

帰路、Xにこのことをつぶやくと、みなが心配してくれた。DMもたくさんいただいた。早く診療を受けるべきだと考え、日曜でも開いている病院を調べるために、救急安心センター事業(♯7119)に電話をした。電話口で症状を伝えると、すぐに救急車で病院に来るように言われた。

救急車に乗って、取り急ぎの検査が始まった。問診のほか、血圧や心拍数、血中酸素濃度などを調べていくなかで、脳障害の疑いは薄いという雰囲気があった。なんだか恥ずかしかった。

病院に着くやいなや診察着に着替えさせられ、MRI検査室へと運ばれた。担架で運ばれる最中に、見上げた天井や壁などは依然ぐにゃりと曲がって見えた。MRI検査が終わり、脳神経外科医に呼ばれた。結果は脳の異常はなし、しかし原因はわからないとのこと。眼科に行った方がいいかと尋ねると、「眼科に行っても原因がわからず、脳神経外科を勧められるだけではないか。でも脳神経に異常はない」との堂々巡り。とくに薬を出されることもなく、安静にするようにだけ言われた。「出すとしたらビタミン剤ですがいりますか?」と言われたが、意味がなさそうだったので薬は断った。

夜の8時を過ぎていた。駅から少し離れた病院で、歩くと10分ほどのようだった。グーグルマップで調べながら駅への道を急いだが、暗くて見知らぬ夜道は、やはりすべてが二重に見えて歩きにくく、車を避けるにもひと苦労だった。今後、どうなってしまうんだろうという不安でいっぱいになった。

8月19日

子どもを保育園に預けて、すぐに眼科に向かった。道路の白線が2本に見える。遠くから走ってくる自動車は2台に見え、歩行者も2人に分裂して見える。電信柱も2本だ。まっすぐ歩くことが困難で、ふらつくため、気持ちが悪くなる。

眼科に着いて視力検査を行うと、右目の矯正視力が半分くらいに落ちていた。検査器具を覗き込むと一つの光の点が二つに見えているが、片目のレンズを変えていくと、だんだんとその距離が近づき、あるポイントで一つに重なった。レンズでの矯正で状況が改善する可能性もあるんだと認識した。

眼科医の問診は、壁に貼ってある丸い点の見え方を聞かれたり、横向きにしたボールペンを目の前で上下左右に動かし、その見え方を伝えるというものだった。ボールペンを左に動かすにつれ、ボールペンはだんだんと二つにわかれていくと伝えた。

眼科医の診断は「内視」だった。スマホなどを見る時間が長いと、近い距離に焦点をあわせるために目が寄るのだという。その寄った目が戻らないために、遠くのものであればあるほど、ものが二つに見える。この状況を「複視」というらしい。理屈が納得できたので、ほっと一息ついたと同時に、「寄り目」という病名に脱力した。どうやったら治るのかと尋ねると、スマホなど近くを見ることをとにかくやめるよう言われた。治る時期についてはわからないということだった。

8月下旬

パソコン作業をはじめ、本や資料を読むなど、私の仕事の大部分は近くを凝視することなので、仕事を休むしかなかった。発送など目を酷使しない日々の作業はぎりぎりこなした。残りの時間は、暗い部屋で音楽を聞いたり、横浜近辺のスパや銭湯に行ったりしながら目を休めた。症状が出て数日後、目がしょぼしょぼして開けられなくなり、涙がドバドバと溢れた。整体でいうところの好転反応だろうか。デトックス反応がでたので、これから快方に向かうのではと予想した。

平日の朝と夜は子どもと一緒に過ごすのだが、すぐ隣にいる子どもが二人に見えるのには参った。夕食時に酒を飲むと、翌朝に目の奥に痛みがあった。東洋医学では目と肝臓はつながっているとされていることを思い出し、断酒を開始した。メガネをしているととにかく歩きにくいので、裸眼で過ごすことにした。裸眼での視力は両目とも0.05だが、ぼやけることで二重に見える状況が少しごまかせていくぶん楽だったからだ。

数日後には、二重に見えることに少しなれてきて外を歩けるようにはなった。しかし、夏の日差しはきつかった。まぶしくて目が開けられない。外を歩いているのに、まぶたがまったく上がらず、まぶたの裏を太陽光が真っ赤に照らしていた。眼瞼下垂にも似た症状で、体と心が全力で休みたがっているのだろうと予想した。

正直なところ、寄り目などすぐに治るだろうと楽観視していた。ただし、安静にするだけではダメだと思い、本棚から整体やヨガ、気功など東洋医学系の本をかき集め、目を良くするトレーニング(眼球運動、ストレッチなど)を実践していった。ずばり寄り目に効くというものではないのだが、やらないよりはいいだろうという考えだった。

日中は、近所の高台の公園に行って、眼球を動かすトレーニングをした。1時間ほど空を眺めたり、木の枝を目で追いかけたりしながら、遠近や上下左右に視線を動かすことで、寄ってしまった目を元に戻そうと試みた。毎日同じベンチに腰掛け、そこから見える景色を定点観測的に眺めることで、少しずつ目がよくなっていることに勇気づけられた。はじめはどこにも焦点があわなかった。目の前にベールがかかっているような、あるいは度数のあわないメガネをしているような感覚で、とにかく現実感が感じられなかった。しかし一箇所でも焦点があうようになると、そこに現実感が生じてくる。ものの見え方によって、こんなにもリアリティが違うのかと驚いた。あるときは足元の石ころにピントが合い、あるときは中距離の柵にピントが合い、あるときは高い木の枝先にピントが合った。ゆっくりとではあったが、現実の生活に戻る時が近づいているのだと思った。

9月(1か月経過)

締め切りが迫る仕事もあったため、徐々にパソコンでの作業時間を増やした。はじめは午前中だけ仕事をして午後は公園にというところから、徐々に仕事の時間を延ばしていった。油断もあったのだろう。禁止されていたスマホを覗き込む時間も増えた。すると、あっという間に症状が戻ってしまった。再び、街中のものが二つにわかれて見える。マッサージや目の運動で改善したと思っても、パソコン作業に集中したり、スマホを1時間程見てしまうと、すぐにアウト。なかなか厄介だなと思った。当初2、3日で治るだろうとたかをくくっていた「寄り目」だが、1か月以上が過ぎても、良くなったり悪くなったりを繰り返している。朝目覚めて一番に目に入ってくるのが天井のライトなのだが、それが二つに見えるたび、今日も治ってないかと、がっかりした気分になった。

ふとメガネをかけた方がいいのではないかと思った。以前よりはものが二つに見える状況には慣れてきていたし、ふらつくこともなくなっていたので、メガネをかけて日々を過ごすようにした。身勝手で思いつきなメガネの着脱に、脳はさぞ混乱しただろうと後悔した。

10月(2か月経過)

10月末に車を運転しなくてはいけない日があったため、焦り始めた。困った時に頼りにしている整体の先生に予約の電話をかけた。予約がとれたのが数日後だったため、それまでにしておくことはないかと聞くと、後頭部に蒸しタオルをあてるよう指示を受けた。蒸しタオルとは、「井本整体」という一派で重視されている治療法で、水で濡らしてレンジで温めたタオルを患部にあて、やがて温度が下がっていくその温度差で血流を促すものである。それまでも目に直接蒸しタオルはあてていたのだけど、後頭部が大事だそうだ。

街中に「整体」と名のつくものは多くあるが、私が抜群の信頼を寄せているのは井本整体である。若い頃からたくさんの整体に通ったが、人体の構造を隅々まで理解しているそのメソッドは唯一のものと認識している。興味がある方は、代表である井本邦昭氏の著作を読んでもらうとよいと思う。単なるマッサージレベルの整体とは違った本物の整体の奥深さを知ることができるはずだ。

さて、施術の日。まずは腹部のチェックから始まった。腹部調律点と呼ばれるもので、詳細は省くが、腹部調律点の8番から7番に固さがあるという。これは古傷が原因という見立てであった。目の古い怪我はないかと聞かれ、しばらく考えた結果、中学校の時に野球部の練習でボールが目に直撃したことを思い出した。「おそらくそれですね」と先生は言う。古傷は治るのに時間がかかるとも言われた。次はうつ伏せになり、背骨のチェック。「右の肩甲骨がすごく開いて右下に落ちていますね。それが左の後頭部を引っ張っていて、後頭部が固くなり血流が悪くなっている。上下左右や遠近のピントをあわせる眼球の動きは、後頭部の筋肉が司っているんですよ」と。そして、正座になった私の後ろから、後頭部に手をあてて、目を上下左右に動かすように指示される。すると、「左目が左上に動かなくなっていますね、これがものが二つに見える原因でしょうね」と言われた。

たしかに、視野の左にいけばいくほど、複視の症状はひどくなる。眼球の動きが後頭部を触ることでわかるとは驚いた。これは実際に自分の手を後頭部にあてて、目をぐるぐる動すと後頭部の筋肉が動くのがわかるのだが、そんなことは目医者も教えてくれなかったし、ネットにもその手の情報は皆無だった。

その日は、肩甲骨の位置を正すような施術がなされた。肩甲骨がずれる原因は、左の肋骨のこわばりにもあるということで、そちらもを対処してもらった。さらなる原因は肝臓であるという。肝臓はストレスが一番出る臓器。お酒が原因かと聞くと、「多少のお酒くらいでは肝臓は壊れませんよ。でも、暗い気持ちで飲むお酒はだめですけどね」と。

次は2週間後とのこと。その間は、教えてもらった肩甲骨を寄せる体操と、後頭部と目への蒸しタオルを1日に1回を行うように指示された。

2週間後、2回目の施術。同じく腹部調律点から。やはり肝臓のこわばりを指摘される。こわばりをとるために、右足の人差し指をのばし、指間を広げる。そして左の腸骨につまりあり。左足を伸ばして腿の裏側を調整した。次に、前回と同じく左の肩甲骨へ。前回よりは位置が戻ってきているらしい。そして後頭部。首のあたりまでゆるんできたけど、やはり後頭部の緊張が残っているとの診断だった。前回の体操の改良版を習い、蒸しタオルも続けるように指示を受け、次は3週間後。この頃、目の症状は良くなったり、悪くなったりを繰り返していることを伝えたが、整体的には、「症状はともかく、体的にはもう少し」と聞いた。症状を見るのではなく体を見る。体がよくなれば、自然と症状が治っていくのだという。目の症状に関しては、治ってくると自然と気にならなくなってくるらしい。

実は、この2回目の施術を終えた頃から、急激に症状が改善してくる。正面に関しては、ものが二つに見えることがなくなった。気にならなくなるというのは、まさにその通りで、よくよく見れば二つに見えるのだけど、気にしなければ問題ないという程度になってきた。こうなると正常時でさえ、この程度のずれはあったのかもと思うほどだ。

11月(3か月経過)

実は、2回目の施術を受ける前日に目医者に行った。その頃は症状が一進一退を繰り返していたので、医学的な見解も聞いておきたかったのだ。1回目の診断から2か月が経っても改善していない状況に目医者は、「おかしいな。スマホは見ていませんよね」と言った。仕事もあるので9月くらいから時間を制限しつつも見ていることや、毎日公園で遠くを見るトレーニングをしている旨を伝えると、「遠くを見ることよりも、近くを見ないことのほうが重要です」と言われた。それを受けて、この日からスマホを見る時間をもう一度厳しく制限して、30分とか1時間にしたことも、症状の好転に役だったかなとも思う。スマホ制限と整体体操、この2つが効果を発揮し、日々良くなっていく感覚があった。

そして3回目の施術は11月12日。この日は、腹部調律点、腸骨、右の股関節などへの施術。しかし、問題のあった肩甲骨や後頭部は触らずに、前回までとずいぶん違ったものだった。不思議に思って施術後にそのことを尋ねた。すると、「カルテをつくるわけではなく、その都度体に聞いて必要なところを触る。だから今回肩甲骨や後頭部を触らなかったのは、そこは問題ないということ」と言われた。このまま体操や蒸しタオルを続け、1か月後に問題がなければ、来なくてもよいということでこの日は終了。

この文章を書いているのが11月26日、日常生活はほぼ問題なく過ごせるようになり、またスマホの制限時間もなくした。視野の右端と左端はまだ二重に見えるが、首をそちらに向ければ事は済む。疲れていたりストレスがかかると、二重に見えることはたまにあるが、翌日には治る。また、数日体操をサボると視界にモヤがかかったようになり、見えにくくはなるが、それにしても以前のような不便さはない。ここまで約3か月。今から思えば、メガネをはずした1か月がなければ、また、整体に早くいっていれば、1か月くらいは回復期間を短縮できたような気もする。

ネットで復視の治し方を調べていくと、「20/20/20ルール」というものが散見される。パソコンやタブレット端末、スマホなどのデジタル画面を20分見たら、20秒間、20フィート(=6メートル)以上離れたものを見て、目の休憩をするというものだ。軽い症状には効果があるのかもしれないが、私の場合、この程度ではほぼ効果はなかった。スマホ内視は子どもに多く、筋肉の柔軟な子どもだと比較的治りやすいとも聞く。しかし、私のように40代後半ともなると、筋肉も固く治りにくいのだろう。整体の先生が調べてくれたものだと、早い人で3か月くらい、長いと1年くらい、なかには治らないケースもあるらしい。内視=寄り目という地味な病名と比べて、この症状を抱えての生活はなかなか辛いものである。今回私が経験した快方へのプロセスや何をしたかのささやかな記録が、今後似たような症状が出た人への参考となると幸いである。

関連記事