編集雑記|芸術至上主義とは何か?
2010年代以降のアートシーンを眺めると、とかくソーシャリー・エンゲイジド・アート(SEA)が隆盛である。社会関与型芸術とも訳されるSEAは、その名の通り社会との接点を持ちながら社会変革を促す点で、「社会のための芸術」あるいは「人類のための芸術」とされる。しかし、その影で「芸術のための芸術」、いわば芸術至上主義はかつてないほどに居心地が悪そうに感じるのは私だけであろうか。このSEA全盛という潮流のなか、つまりここ10数年の間に芸術の世界に足を踏み入れた人のなかには、芸術至上主義といった考え方があることすら知らない人もいるだろう。かつて芸術至上主義者は多数派ではないにせよ、一定数存在し、また理解を得ていたように思う。しかし現状における芸術至上主義の後退は、SEAに自分の芸術性を見いだせない者にとっては辛い状況なのではないかというのが、この文章を書くに至った動機である。 きっかけとなったのは、初夏に訪れた武蔵野美術大学美術館・図書館での展覧会であった。「ムサビ版「驚異の部屋(ヴンダーカマー)」―眠らない獅子計画 vol.1 侵犯、越境、超越するゲーテの手―さかぎしよしおう、関根直子、徳丸鏡子、留守玲」展(2024年5月13日〜6月15日、上記写真は会場風景、撮影筆者)と題された展覧会で、企画は同館館長の新見隆。新見は『共感覚への旅 ―モダニズム・同時代論』という本をアートダイバーから出版したばかりであり、また、出品作家の4人がこの本の同時代論にて紹介されている意味でも、いわばスピンオフ企画と呼んでもよい展示であった。 会場で渡されたリーフレットの冒頭、さかぎしよしおうの作家コメントに興味をそそられた。
私は作品で何かを伝えるとか、文脈を仕込むとかというようなことをしていませんので、表現者という自覚は希薄です。 芸術それ自体の媒体性を信じ、芸術に身を添わせた人生を過ごそうとしているだけの者です。 [中略] 今、人生で何回目かの“何か”が起きていますので、これがしばらく続いてくれることを願いつつ、日々を過ごしています。
「ムサビ版「驚異の部屋(ヴンダーカマー)」―眠らない獅子計画 vol.1 侵犯、越境、超越するゲーテの手―さかぎしよしおう、関根直子、徳丸鏡子、留守玲」展リーフレットより
「人生で何回目かの“何か”」というのは、さかぎしの出品作に明らかで、たしかにこれまでの作風とはまったく違う作品が並んでいた。大きな水彩紙に鉛筆による曲線で幾何学模様を描き、濃淡で複雑な奥行きを感じさせるドローイングが3点。そして細い線状のプラスチック樹脂を用いた黒い立体作品が11点。とくに立体の方は、クリスティアーネ・レーアを思わせる有機的な造形に所有欲をくすぐられた。[註1] 幸運なことに、私のSNSでの書き込みを偶然見たさかぎしが会場に来てくれた。会場を一緒に見て回るだけでなく、武蔵美に近いアトリエまで訪問する貴重な時間のなか、ゆっくりと話を伺うことができた。[註2] まずは、「人生で何回目かの“何か”」について。話によると、1980年代に多摩美の学生だったさかぎしは、パフォーマンスとインスタレーションをメインに活動しており、当時はバブル景気だったこともあり、パフォーマンスにはギャラが支払われることもあったという。しかし、そうした状況の先に行き詰まりを直感したさかぎしは、突如発表をやめ、単身イギリスに渡る。そして何もしない1年間を過ごした。 帰国後の日本のアートシーンにも、自分との接点を見つけることはできなかった。ただ、美術を続けることに疑問はなく制作を続けた。そうして、いろいろな素材と向き合い、日々手を動かすなかで、さかぎしの初期を代表する石膏シリーズが生まれるのである。自分がつくりたいかたちを追い求めるのではなく、かたちから聞こえる声に耳をすまし、それを具現化するというのがさかぎしの制作である。そうこうしているうちに、ギャラリーでの扱いも決まり、作品は順調に売れ、美術で生活することが可能になったという。 しかし、90年代の後半、G9系と呼ばれるコマーシャルギャラリーが台頭し、サブカルチャーの影響がアートシーンを席巻すると、さかぎしは発表意欲を失ったのか、ギャラリーでの発表をストップする。そして潜伏すること約4年。その間、偶然紹介を受けた陶芸家・礒崎真理子との出会いから焼き物をはじめ、数年間土をいじり続けて生まれてきたのが、2000年代のさかぎしのシリーズ、水滴状の磁土が積み上がった作品である。 私がさかぎしの作品をはじめて見たのも、この磁土のシリーズであったが、発表から20数年が経った2024年に、“何か”が起こって今回の発表作が生まれたという経緯を聞いた。 話を通して一貫していたのは、「作品をつくった」のではなく、「作品が生まれてきた」という主体の在処である。さかぎし自体がかたちをつくるのではなく、かたちがさかぎしを通してこの世に現れると言い換えるとわかりやすいだろうか。また作品を発表するにあたっても、さかぎしはこれまで自ら発表機会を探そうとしておらず、すべて依頼ベースで作品発表に至っている。そこには、作品自らが発表機会をつくっている、というニュアンスすら漂う。今回の新作群についても今後の発表についてはまったく考えていないのだとか。 ここまできて、ようやくさかぎしが展覧会リーフレットによせた文章にて、「表現者という自覚は希薄」とか、「芸術それ自体の媒体性を信じ」と書いた意味が私なりに腑に落ちた。これを芸術至上主義と称さず、なんと言おうか。 『共感覚への旅』の著者である新見隆が、自身がキュレーションする展覧会にさかぎしを呼び、また自身が受け持つ武蔵美の授業で講義を依頼し、著書で作家論を書いたのには、新見の芸術観がさかぎしのそれと深く共鳴するからであろう。そのことがわかる文章を『共感覚への旅』から一部引用する。
ケレンなコンセプトや、作品のダイナミックな見栄えや、受けを狙った意図などに見向きもせず、ただ「宇宙の果てに漂う」美術という未見・未生のイデアに殉ずること。その声に耳傾けて、ひたすらその微かな、軽やかな声に寄り添うてその声の手助けだけをすることが、作家の使命である、と信じる男がいる。 「芸術の媒体性」、それを作家の媒体性、と言ってもいい、という。 リルケがその『ロダン論』二部で、「美の降りてくる祭壇を整える者を、芸術家と言う」と喝破したことだ。
新見隆『共感覚への旅―モダニズム・同時代論』(2024年、アートダイバー、pp. 364-365)
新見は本論のなかで、さかぎしの芸術至上主義を指摘し、芸術至上主義者こそが「社会と人々を救う」(同、p.372)とさかぎし論を展開するが、そのロジックについてはここでは割愛する。 さて、私が美術編集者として過ごしてきた20数年間、数多の作家と出会ってきたわけだが、もちろんそのなかには芸術至上主義者はたくさんいた。なかでもアートダイバーが1冊目として刊行した『現代美術史日本篇1945-2014』の著者である中ザワヒデキは、依然、印象深い芸術至上主義者である。 詳しくは『現代美術史日本篇1945-2014』を読んでもらいたいのだが、同書の骨子は、美術を「前衛」、「反芸術」、「多様性」の3つのフェーズにわけて、それらが約30年の周期で循環するという循環史観である。中ザワは「前衛」と「反芸術」が「芸術至上主義」であり、「多様性」が「社会のための芸術」であるという立場をとる。そして自身の活動は「反芸術」、つまり芸術至上主義に依っているのである。 ずいぶん前になるが、作品集制作のために中ザワに取材を重ねたことがあった(作品集自体はとある事情によって頓挫してしまったが)。興味深かったのは、日本を代表するコンセプチュアルアーティストと称されるだけあって作品の背景には強固なロジックが厳密な言葉で積み上げられている一方で、とあるポイントになると「作品がふと降りてきた」といったニュアンスの言葉が出てくる点であった。当時はそういうものかと思っていたが、今回、さかぎしとの対話のなかで、この「芸術がどこかから降りてくる」といったイデア論的な感覚をにわかに思い出した次第である。 このように、芸術とは、人間の意思や言葉では表現しきれないなにかを扱うことができるものである。もともと多くの人が作家を目指した動機には、言語化できない何かがあったに違いない。もちろん自身の芸術をぎりぎりまで言語化し、人に伝える努力はするべきだが、言語化できない余地があることは芸術の豊かさであろう。そんな芸術の姿を今後も捉えていきたいと思う。 [註1]同展へのさかぎしの出品作は、武蔵野美術大学美術館・図書館のホームページで一部を見ることができる。 https://mauml.musabi.ac.jp/museum/events/21800/ [註2]さかぎしの遍歴について現在ネットで読める記事としては、藤田千彩のメディア「PEELER」でのインタビュー「たんたんとつみかさねていく」がとてもおもしろく参考になる。 http://peeler.jp/people/sakagishi/index.html