インタビュー|中ザワヒデキ「新たな局面を迎えた現代アート」

― 『現代美術史日本篇』は、2008年の出版時には予定出版部数が瞬く間に売り切れ、まだ多くのニーズがあったと聞きますが、増刷をせず今に至ったのはどういう理由があったのでしょうか。

中ザワ 初版の前書きにも書きましたが、この本は日本語と英語のバイリンガルであることが重要でした。そのことで、「日本の現代美術史は、世界の現代美術史に相対的なものとし存在している」ことを示そうとしたわけです。しかし、英語のクオリティに少し問題があり、そこを改善してから再度出版したいという思いを持っていました。ですから、出版した時からもう「第二版」を出したいといっていたんですね。

さらに日本語でも気になることがありました。言語の統一や註の補足といった編集レベルでの修正から、本文に関しても書ききれていない部分などを補足したいと。本文の執筆に関しては、美学校での講座と絡めたりしながら、少しずつ進めてきました。ただその間にも吉祥寺美術館の個展など、外部から締め切りのある仕事が入ってきたり、あるいは両親が他界して個人的にバタバタしてしまったりという事情で、ずるずると延びて今に至ったということです。

そうした状態が、この間のギャラリーセラーの個展(「アンチアンチエイリアシング」6/15~7/5)でようやく一段落したんですね。外部からの締め切りがなくなったときに一番に手をつけなくてはいけないのが『現代美術史日本篇』だということは自覚していました。そんな折、展覧会に編集者が尋ねてきて企画を持ってきたのですが、編集者に『現代美術史日本篇改訂版』の出版を手伝ってくれと逆プレゼンをしたんです。そこには画廊主もいて、11月21日と決まっていた僕の次の個展オープニングの日を出版日にしようと。

― 日本語において、前回から書き直されている箇所は主にどの章になりますか。

中ザワ 前回の執筆時に急ぎ足で書いてしまったと感じているのは7章「スーパーフラット、快楽と方法(マニエリスムと多様性:1995年頃―)」です。

― 7章における加筆修正のポイントはどのあたりですか。

中ザワ 全体的なレベルアップです。前回触れられなかった作家を加えます。例えば、田中功起やchim↑pomなど。それ以前の章にに関しても、説明が足りない箇所などは書きながらも気づいていたので、そうした部分にも全体的に手を入れてきています。

それらをクリアした上で「第二版」をと考えていたのですが、やっているうちに年月が経ってしまいました。そんな中、2010年頃から現代美術のフェーズが変わったんじゃないかと感じるようになりました。それを書き加えるのなら「第二版」ではなく、「改訂版」にしようと。

― 2010年からのフェーズの変化というのはどういうものですか。

中ザワ カオスラウンジが出てきたのがおもしろかった。周辺も含めると大勢のハンドルネームの集団が出てきて絵を描いていて、その絵もドローイングばっかりで、「描いているのが楽しい」みたいな方向性で、うまいか下手かなんて関係ない。最近のカオスラウンジは方向性を変えていますが、当時のカオスラウンジは新たに生まれたフェーズを可視化したと思っています。僕はこの状況を2011年に「第四表現主義(仮)」とあらわしましたが、当時、同じようなお絵かき大会のようなものが同時多発的に行われていて、それは今も続いていますね。今年は、「春のカド」という展覧会の第二回展もありましたが、こうした動きも取り込んでいきたいと思います。

7章にも絵を描く人はたくさんいるのですが、下手な絵を描くにしてももともとはうまい人がわざと下手に描いていて、技術を持っているわけです。つまり、マニエリスム的な要素が強く、この傾向は絵画なら山口晃あたり、彫刻なら小谷元彦などからはじまっている。また、彼らは個人プレーの作家たちが多い傾向にあります。そして、彼らとストラクチャー的につながっているのがコマーシャルギャラリー。小山登美夫ギャラリー以降のコマーシャルギャラリーがマニエリスムの作家を扱うという形が第7章です。

8章になると、コマーシャルギャラリーとは少し離れたところ、例えば新宿眼科画廊とか美学校などから、カオスラウンジ宣言にもあったようにSNSを駆使するかたちで新しい作家がでてきていますね。こうした動向を第8章「網前衛(仮)」ということで新たに書き加えます。さらにいうと、循環史観的には当然予見されていた「次の表現主義」がついにここで到来したという図式となります。

もともと僕の中に、次の版を出さなければというプレッシャーがありましたが、その一定の圧力にプラスされる形で新しい動向が生まれてきた。それを入れた形で再出版するのが、今回の改訂版を出す意味だといえるでしょう。
(2014年8月9日・吉祥寺にて収録)

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