フィレンツェ・アカデミア美術館のダヴデ像(ミケランジェロ作)や、京都・六波羅蜜寺の空也上人立像(康勝作)など、美術ファンならずとも一度は目にしているであろう著名な作品をモチーフとして、そこに現代人の身体を「受肉」させる手法で知られる彫刻家・上路市剛。
本物と見紛うほどのリアルな彫刻は、塑像制作にはじまり、シリコンによる型取り、点描による彩色、髪や髭の1本ずつの植毛といった、膨大な工程を経て生み出されている。
こうした執拗とすらいえる制作過程を支えるのが、「同性愛的美意識」だと上路は言う。
上路は自身がゲイであることを公言しているが、ここでいう「同性愛的美意識」とは、必ずしもゲイ・アートのような直接的な同性愛表現ではなく、同性愛者ならではの視点がなければ成し得ない造形や描写を生み出す視点のことである。
上路の制作行為は、過去の名作の中に特異点的に現れた「同性愛的な美意識」をシミュレーションすることから始まる。先人の作品をシミュレーションすることで、彼らの衝動を追体験し、また、上路自身の衝動も重ねながら彫刻に向き合う。
美術史の裏側に隠されたこうした「美意識」を、現代を生きる作家のフィルターで強調することによって、美術史に新たなリアリティを与えることが、彫刻を通して挑むテーマとなっている。
人物彫刻をリアリズムの手法でつくることは、大変な肉体的負担を要する。にもかかわらず、そうしたスタイルを選択せずにはいられない美への欲求が人物彫刻にはあると上路は言う。その欲求の強度こそが、「同性愛的な美意識」を「普遍的な美意識」に昇華させ、後世に残る作品を生み出す土壌となるのだろう。