レビュー|日比野克彦展「Xデパートメント 2020」

Text : 塚田優(視覚文化評論家、多摩美術大学研究員)


2020年3月、日本橋三越に現代アートに特化した新スペース「MITSUKOSHI CONTEMPORARY GALLERY」がオープンした。その1回目の展覧会となったのが日比野克彦展「Xデパートメント 2020」である。タイトルには、1991年に伊勢丹美術館で開かれた「Xデパートメント 脱領域の現代美術」が参照されているが、それから約30年が経ち、再び百貨店で展覧会を行う意図はどこにあったのだろうか。イラストレーションと現代美術の領域を横断しながら批評活動を行う塚田優が展覧会を評する。


ヒビノ坊ちゃんのあたらしくない仕事

洋服屋さんと八百屋さんを混ぜてお店を出してみよう。(*1)
冒頭に掲げたのは、日比野克彦が自らに下した「指令」を収録した著書『100の指令』からの引用である。これに象徴されるように、日比野は作品の発表を美術に限定せず、広告や舞台とも関わりながら領域を横断する活動ぶりを展開してきた。段ボールを用いたのびやかな表現は1982年のデビュー以来一貫しているが、とりわけ00年代以降の活動として目立つのは、市民との(それこそ横断的な)協働が必要とされるようなアートプロジェクトである。これらの実績を通じて近年の日比野は、アーティストとしてのポジションをより確固たるものにしたと言えるだろう。三越コンテンポラリーギャラリーのオープニング企画として開催された個展「Xデパートメント 2020」においても、こうした横断的な脱領域性がテーマとして設定されている。
そしてもうひとつ重要なのは、本展は91年に伊勢丹美術館で開催され、日比野も参加したグループ展「Xデパートメント 脱領域の現代美術」を参照していることだ。このとき日比野は自身が閉店後の伊勢丹を縦横に徘徊する様子をモノクロで写したポートレートに、エッセイと楽譜を加えて一組とし、それらの連作にドキュメント映像も合わせて展示を行なった。こうした作家の経済活動の裏側への関心は、商品の中身ではなく、その梱包材(=段ボール)を作品として反転させてしまう方法論とも共通したものだと言えるだろう。とりわけ同作は、夜であることや、モノクロームであることの緊張感もあいまって、デパート(=資本主義)に対する肯定とも否定ともとれない不気味な気配を湛えた作品となっている。
それではこうした横断的な振る舞いは、「Xデパートメント 2020」においてどのように引き継がれているのだろうか。展示は近作を中心に構成されており、そしてその中で、領域を横断するものとして位置づけられていたのが、三越館内各所におけるディスプレイと、本館の2、4階に設置された《X DEPARTMENT 2020 GENTLEMAN Mr. X》(2019)をはじめとするファッションと関連した作品である。だが結論から先に述べるならば、これらの試みはきわめて予定調和的なものにおさまってしまっていた。

会場風景

ディスプレイについて言えば、周囲のラグジュアリーな商品と段ボールのチープな素材感の対比に、横断的な批評性を見出すことは出来なくもないが、日比野の作風それ自体がすでに認知を得てしまっているがゆえに、その意図は伝わりづらくなり、巧みな造形感覚で仕上げられた装飾としての印象が勝ってしまう。また、衣服を作品としてデパートの空間内に投入することも、確かに領域横断的ではあるが、様々なブランドが立ち並ぶ店内において、それは日比野という作家によって価値が付与された商品として(これらは実際に販売されてもいた)、その他のアイテムと全く同じ平面上の差異として認知しうるものとなってしまっていた。そうしたテーマのマイナス効果はギャラリー内部の作品にも影響していて、空間の経験を統一的に構成しようとした《3rd January 2020》(2020)に造形的な新鮮さを感じることができるものの、それはバリエーションとして並列化されてしまうことで、あたかも商品の品揃えの豊富さをアピールしているかのように見えてしまう。もちろん作品から食料品まで、全てが価値としてフラットに取り扱われることは、デパートという消費空間の特徴でもあるし、日比野はこうした場所で展示を行なうことを「消費されるものの中に美が存在する」(*2)と肯定的に述べている。だが、そのあまりにも横並びな商品との併置は、作品を経済的な価値へと短絡させてしまい、それだけでは測れない美術としての評価を難しくさせている。
本展が提示する横断性は、デパートという消費の記号体系のなかにおける相対的な違いに過ぎず、かつて日比野が「Xデパートメント 脱領域の現代美術」で展開した、商業空間の裏側と対峙するかのような視点が欠けてしまっている。X DEPARTMENTのシリーズは、今回の「Xデパートメント 2020」のカタログにおいて椹木野衣も述べるように「美術館という場をはっきりと意識し、その限界を打ち破る形で強烈に打ち出した」ものだった。(*3) 80年代前半にデビューした当時の日比野は、バブル経済へと向かう日本の社会状況を背景に広告界でも活躍し、TVにも進出するなど積極的に資本主義的な循環と共犯関係を結んでいた。ゆえにこうした構造の外部を志向した同シリーズは、作家のキャリアにあってひとつの起点として評価することが出来るだろう。このシリーズがあったからこそ、日比野は単純に貨幣へと還元することのできない関係性や価値の創造を求め、現代アートという枠組みのもとでワークショップを繰り返し、日本全国で育てられた朝顔の苗を金沢21世紀美術館へと集結させる《明後日朝顔プロジェクト21》(2007)のような息の長い循環の構築へと到達したのではなかったのだろうか。「Xデパートメント 2020」には日比野がおよそ30年かけて実践してきた経済とは異なる、オルタナティブな関係性への志向がなかったことにされてしまい、デパートという消費空間と全く地続きな、その内部での差異として導入されたにすぎない「作品」が並んでいるばかりである。アートに本来備わっているはずの、(資本主義も含めた)様々な制度を対象化する横断性が、本展には欠けてしまっている。
確かに80年代は、文化と消費を入れ子状にすることによって両者をフィクショナルな記号として成立させ、それらの流通によって活発な経済活動が促された時代だった。しかし、その後の長引く不況は人々の消費行動を鈍化させ、デパート業界もまた再編成を余儀なくされた。こうした時代の推移に対する内側からのアンサーとして、三越コンテンポラリーギャラリーが本展を企画したとするならば、それは十分なインパクトを持ったはずである。日比野は近年の活動も踏まえながら、自身が駆け抜けたバブル期を再検討し、現代にふさわしいアートの新たな鑑賞や消費の在り方を提示すべきだったのではないだろうか。

会場風景

*1 日比野克彦『100の指令』、朝日出版社、2003年、133ページ
*2 「Xデパートメント 2020 日比野克彦インタビュー」 https://www.mitsukoshi.mistore.jp/nihombashi/event_calendar/hibino_katsuhiko/interview.html
*3 日本橋三越本店 美術営業部編『日比野克彦展「Xデパートメント 2020」』株式会社三越伊勢丹、2020年、7ページ

写真提供:みそにこみおでん

[展覧会概要]
日比野克彦展 「Xデパートメント 2020」
会期:2020年3月18日~3月30日
会場:日本橋三越本店本館6階コンテンポラリーギャラリー


●日比野克彦について、もっと知りたい方は以下の書籍がおすすめです。

中ザワヒデキ『現代美術史日本篇1945-2014』(1500円+税、アートダイバー )
中ザワヒデキ『近代美術史テキスト―印象派からポスト・ヘタうま・イラストレーションまで―』(500円+税、トムズボックス)

1982年の第3回日本グラフィック展(日グラ)で大賞を受賞し、時代の寵児となった日比野克彦。公募団体、現代美術、イラストレーションが入り乱れる1980年代のアートシーンを概説しながら、日比野克彦の美術史における立ち位置を理解することができる2冊です。

 

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