レポート|「寺田小太郎 いのちの記録—コレクションよ、永遠に」展 前編「起源」

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レポート|「寺田小太郎 いのちの記録—コレクションよ、永遠に」展 前編「起源」

 

2019年度に多摩美術大学美術館が故・寺田小太郎(1927-2018)より59点の美術作品を受贈したことを記念し、企画された展覧会「寺田小太郎 いのちの記録—コレクションよ、永遠に」。同展は前編(7月10日−9月20日)、後編(10月2日−11月21日)の2期にわたって開催され、多摩美術大学美術館収蔵作品を含む約190点の作品群と資料から、寺田の思いに寄り添い、寺田コレクションに込められた「物語」をひもとく企画である。
7月10日より開幕した前編では、「起源」という副題のもと、寺田コレクションの原点へとさかのぼり、寺田の感性と美意識のルーツを辿ることが試みられている。展示構成は、1章「出会い 難波田龍起・史男」、2章「『日本的抽象』から『東洋的抽象』へ」、3章「ブラック&ホワイト 表現と非表現」、4章「わが山河 故郷への旅路」の4章からなり、それぞれに1室が割り当てられている。

1章「出会い 難波田龍起・史男」では、寺田が好んで収集を続け、最終的には約600点以上にも及ぶ国内随一のコレクションとなった難波田龍起および、次男・難波田史男の作品群より45点が展示されている。
来場者が最初に目にするのは、難波田龍起が1989年の個展「石窟の時間」で発表した水彩画である。同個展にて大きな衝撃を受けた寺田は、その場に展示されていたほぼ全ての水彩画50点をまとめて購入する。これは、寺田にとって一作家の作品を体系的に購入する初めての機会であり、寺田コレクションの形成へと一歩踏み出した出来事でもあった。そもそも、寺田が収集活動を開始した所以は、1988年に開始された新国立劇場建設のための官民一体となった都市開発事業に際して、所有していた土地を提供し、同プロジェクトに唯一の個人として参画したことに遡る。そこで寺田は、行政が掲げた文化施設を設置するプランに賛同したうえで、美術館創設(現在の東京オペラシティアートギャラリー)を提案し、その礎を築くべく私財を投じて収集活動を開始したのであった。故に、寺田コレクションは、個人の楽しみとして収集されたのではなく、その始まりからしてコレクションを後世に引き継ぎ、多くの人に見てもらうことを志向していたのである。
こうして、収集活動の始まりから龍起が亡くなる1997年まで、寺田と龍起は芸術的交流を通して確固たる信頼関係を築いてきたが、その関係性を象徴する作品が、展示室でもとりわけ目をひく晩年の大作《生の記録3》と《生の記録4》である。「寺田小太郎 いのちの記録」の開催に際して行われた、『難波田龍起日記』(私家版、早稲田大学會津八一記念博物館蔵)の調査によって、上記2作品の制作経緯が明らかになっている。「生の記録」シリーズは、1994年に世田谷美術館で開催された「難波田龍起展 1954年以後 抽象の時間・生命の響き」(4月3日−5月5日)にて発表されたものの、そこに出品されたのは《わが生の記録1》、《生の記録2》、《生の記録3》の3点のみで、《生の記録4》は出品されていない。また、1994年の個展最終日に記された龍起の日記には、「これから寺田コレクションのために《生の記録2》に相当する作品を制作する」との旨が記されており、寺田と龍起が出会った1989年の個展「石窟の時間」にて、龍起は寺田から「美術館創設に向けて龍起の作品を収集したい」と伝えられていることからも、《生の記録4》は龍起が寺田の意志に応えるかたちで制作した作品であることが判明したという。その後、1999年には東京オペラシティアートギャラリーが開館。寺田が夢見た美術館創設が実現し、寺田コレクションは実を結ぶ。

1章「出会い 難波田龍起・史男」展示風景 ©️中川周

2章「『日本的抽象』から『東洋的抽象』へ」で展示されているのは、李禹煥、榎倉康二らによる「もの派」や、白髪一雄らによる「具体」といった戦後日本美術の作品と、表現を極限まで切り詰めた韓国美術固有の表現である「単色画」の作品。その章題からうかがえる通り、 難波田龍起・史男の作品から始まった寺田コレクションが、日本の抽象美術から朝鮮半島をルーツとする作家の抽象美術へと展開していったことが示されている。「東洋的抽象」は寺田自身によって掲げられた収集テーマであるが、そこへと至った背景には戦争体験があったという。1927年生まれの寺田は、敗戦による、軍国主義教育から民主主義教育へのパラダイムシフトを多感な時期に経験している。故に、寺田の収集活動、ひいてはその人生においても、戦争体験が重くのしかかっており、「日本とは何か」、「人間とは何か」という二つの問いに向き合うことを余儀なくされた。こうして寺田は、日本の文化形成に大きな影響を与えた朝鮮半島、そしてそこをルーツとする作家の抽象美術に着目し、そこに日本人の美意識の源流を探り、朝鮮半島の古代文明へと思いを巡らせたというわけである。

2章「『日本的抽象』から『東洋的抽象』へ」展示風景 ©️中川周

続く3章「ブラック&ホワイト 表現と非表現」では、「東洋的抽象」と同じく、寺田自身によって掲げられた「ブラック&ホワイト」という収集テーマに則り、李禹煥、白髪一雄、磯見輝夫らによるモノクロームの作品が展示されている。この収集テーマを掲げた背景には、戦後の高度経済成長期に生活が急激に変化し日常に色彩があふれていった反動で、モノクロの世界を美しく感じた寺田の個人的経験があったという。色彩を抑え、物語性や表象性を極限まで排除した表現は、物質そのものが持つ特性を浮かび上がらせ、人と素材との間で交わされる対話関係を喚起する。寺田は、こうした作為(=つくること)と不作為(=つくらないこと)のせめぎ合いのうちに美を見出していたのである。また、磯見輝夫による木版画作品に表れている木の目など、自然の素材を由来とするマテリアルの内に、日本的な美意識の源泉を探ることも行なっていた。

3章「ブラック&ホワイト 表現と非表現」展示風景 ©️中川周

4章では、主に抽象美術が展示されていたこれまでの展示室とは異なり、「わが山河 故郷への旅路」という章題のもと、具象的な作品が展示されている。展示室でひときわ存在感を放つ大作、中路融人《伊吹山》は寺田家のルーツでもある近江の明峰を描いた作品。他にも、神武天皇によって祀られたと『古事記』に記され、古来、熊野信仰の中心地のひとつとして参拝者を集めてきた那智の滝を描いた齋藤満栄《那智》など、日本の風土や自然、原風景を描いた作品が並ぶ。寺田がこうした作品を収集した所以は、1960年代の高度経済成長期から1990年代初頭のバブル経済崩壊前後にかけて、日本の暮らしと景観が大きく変容したことにある。幼少期より自然と親しんできた寺田は、国木田独歩『武蔵野』や徳冨蘆花『みみずのたはこと』を愛読し、資本主義社会のもたらした産業化、経済優先による自然破壊に伴う日本人の精神の荒廃を憂い、日本の原風景や、人と自然が共に生きる里山の景色を自らの心の拠り所としたのである。

4章「わが山河 故郷への旅路」展示風景 ©️中川周

「寺田小太郎 いのちの記録」の最大の特徴とも言えるのが、コレクション作品の展示に加えて、寺田が長年にわたり携わっていた造園家の仕事も紹介している点である。1945年4月、寺田は東京農業大学専門部緑地土木科(現造園科学科)へ入学し、後の師となる造園家・中島建と出会い、造園の話のみならず諸芸術分野を扱うユニークな授業に惹かれた。その後、1948年に東京農業大学農学部農業経済学科へ進学し、卒業後は父のすすめで質屋を開業するが、1963年に中島が主宰する綜合庭園研究室に就職し、1980年には自身で創造園事務所を設立するなど、長きにわたって造園に携わっていた。東京オペラシティビルにおける甲州街道・山手通り側の樹木施工は、寺田の推薦により綜合庭園研究所に委託され、中島が亡くなった2000年以後は、寺田が管理を引き継いでいる。
「前編『起源』」では、寺田直筆の庭園見取図や綜合庭園研究所在籍時に撮影した古写真などが展示され、収集活動の背景にある美意識と感性の「起源」を探ることが試みられている。寺田は、収集活動と造園の関係性について、「コレクションは造園と同じで、既存の物を集めたり組み合わせていくことで新しい世界を創り出していく。コレクションするということも創造的な営みではないかと思います」と語っており、造園の仕事に従事した経験が寺田コレクションの趣向に影響を及ぼしていることが読み取れる。3章「ブラック&ホワイト 表現と非表現」で示されていた、物質そのものが持つ特性、人と素材の間で交わされる対話関係に着目する視点は、植物や水などの天然素材、石などの鉱物資源と向き合う造園の仕事と重なり合う。また、4章「わが山河 故郷への旅路」で見られる、近代へのアンチテーゼとも言える寺田独自の自然観の背景には、造園の仕事を通して培った自然への愛と畏怖があることがうかがえる。さらに、寺田が当初の目的であった美術館創設の達成後も、最晩年に至るまで絶え間なく作品購入を続けていたことから、寺田の収集活動には、植物の成長に合わせて何度も手入れをすることが必須である造園との親和性が見出せる。

寺田小太郎による造園研究のための記録写真
1968(昭和43)年より、寺田は県立相原高等学校造園科(1992年廃止)で2年ほど非常勤講師を務めていた。授業に備えて甲府・甲州にある庭を中心に巡って庭づくりの研究を行った。その時に撮影された写真であると推測される。

美術史的価値に基準をおく公立美術館のコレクションとは異なり、寺田コレクションは、寺田小太郎という、一個人の目と頭で形成されたものである。故に、「寺田小太郎 いのちの記録 前編『起源』」でなされた、寺田の思いに寄り添い、如何なる目と頭によって作品が収集されたのか多角的に捉えることは、コレクションの真価を伝え、「コレクション」という営みそのものについて思考を促す。
10月2日より開催予定の「後期『継承』」は、そのタイトルからうかがえる通り、寺田のまなざしの先にある未来へと想いを馳せる企画であるという。その始まりから、後世に美術作品を伝えていくことが志されていた寺田コレクションがどのように「継承」されていくのか、期待したい。

[展覧会概要]
寺田小太郎 いのちの記録−コレクションよ、永遠に 前編「起源」
会期:2021年7月10日〜9月20日
会場:多摩美術大学美術館
https://www.tamabi.ac.jp/museum/

※後編「継承」は、10月2日〜11月21日の会期で開催予定

 

 

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