インタビュー|有馬かおる「いま、石巻でなにが起こっているのか」

『リボーンアート・フェスティバル2019公式記録集』刊行記念企画

インタビュー|有馬かおる「いま、石巻でなにが起こっているのか」


東日本大震災からの復興を願って開催される芸術祭「Reborn-Art Festival」。その開催地・石巻にて、現地在住の若手作家を中心としたアートシーンが姿を見せている。いま、石巻ではなにが起こっているのだろうか。2017年に開催された第1回に際して石巻へと移住し、アートシーンを築きあげることに尽力してきた有馬かおるに話をうかがった。



― 石巻への移住を決めたのは、なぜでしょうか。

有馬 リボーンアート・フェスティバル2017(以下、RAF)に際して、キュレーターの和多利浩一さんから、「キワマリ荘[1]みたいなことをやってくれない?」と提案されたのがきっかけです。しかし、キワマリ荘をやるためには、石巻に引っ越さなければなりません。犬山や水戸でキワマリ荘を運営していた時とは違って結婚もしていますし、流石にリスクが高すぎるので、最初は別のプランを考えていました。けれども、結局は、キワマリ荘しかないと覚悟を決めて、妻を説得し、石巻に移住することにしました。こうした決断の背景には、私が地方芸術祭に対して抱いていた、「芸術祭の終幕後、その地域にはなにか残るものがあるのか?」という疑問があります。だからこそ、私が参加する場合には、芸術祭が終わった後も考えたプランを提示しなければ意味がないと思ったのです。そこで私は、石巻の作家だけで運営するスペースの設立を目標に、この場所のアートの基礎をつくることを目指しました。
具体的に考えたプロセスは、「1段階目:引っ越しをして石巻市民になる。2段階目:RAF2017会期中の展示。3段階目:この場所で多目的スペースを運営し、ノウハウをつくり、私がいなくても運営が成り立つ状態にする」という3段構成でした。1段階目については、作家も含む地元の人たちからの信用を得るために必須のプロセスです。こうしたプランを考案してから、多くの人たちから言われたのが「石巻では無理だよ」ということで、実際に石巻で文化を興そうとしたものの、できなかったという話も聞きました。だからこそ、地元の人たちに覚悟を見せなければならない。移住するほどの覚悟がなければ、誰も賛同してくれないと思ったのです。2段階目については、石巻の商店街で民家を改装したスペースを立ち上げ、そこをRAF2017の会場としました。スペースの名前は、「大家が電気屋さんである、建物の外観がトタンである、街の活性化」の3つから、GALVANIZE galleryとしました[2]


― 移住後は、どのように地元作家とつながっていったのですか。

有馬 当時も石巻で活動している作家はいたとは思うのですが、なかなか見えてこない状況でした。そこで、地元の人たちが待合所のように使っているカフェ、IRORI 石巻に足繁く通い、面白そうな人に声をかけたり、新聞を読んで面白そうな展覧会があったら見にいったりすることを地道に続けました。こうして、RAF2017までに数名の地元作家と知り合い、会期中には地元作家がお客さんとして訪れたことで、さらに知り合いが増えていきました。少しずつプレイヤーがそろってきたことを受けて、RAF2017閉幕後の2017年12月には、GALVANIZE galleryを石巻のキワマリ荘と改め、石巻の作家だけでスペースを運営していくことになります。2018年2月には、RAF2017に観客として京都から来ていたミシオ(当時19歳)が合流し、石巻のキワマリ荘は、1F:GALVANIZE gallery(代表:有馬かおる)、2Fa: setten(代表:古里裕美)、2Fb:マニマニ露店(代表:シマワキユウ)、2Fc:おやすみ帝国(代表:ミシオ)というメンバーで運営していくことになりました。石巻での活動も2年目に入り、なんとか地元作家をまとめあげて、アートシーンの礎を築くことができたのです。私の貯金は底をつき、妻には泣かれてしまいましたが……。

石巻のキワマリ荘 外観

― その後、2019年3月に、有馬さんはキワマリ荘の運営から退き、キワマリ荘とGALVANIZE galleryの代表を富松篤さんに引き継いでいますね。

有馬 はい。これは犬山も水戸も同じなのですが、やはり、その場所で本当にやりたいことは、そこに住んでいる/きた人にしか分からないんです。ですので、私が抜けることで、地元作家が心からやりたいと思えることを存分にできるようになったと思います。どうしても私がいると、「こういう風にしたい」という強制力が働いてしまいますから。石巻のキワマリ荘もオープンから1年以上が経ち、運営を任せても大丈夫だと思えたことも大きかったですね。
その後、石巻のキワマリ荘は代表の交代に加えて、古里裕美、シマワキユウが卒業し、地元作家のSoftRib、鹿野颯斗、ちばふみ枝(2020年1月、2Fbにmado-beyaをオープン)が加入することでメンバーも入れ替わり、新体制で運営されていくことになります。私は、守章さん(地元作家)から「自宅(青果店)の2階で、ART DRUG CENTER(以下、ADC)[3]をやってほしい」との話を持ちかけられ、石巻のキワマリ荘から徒歩5分ほどの場所にADCを12年ぶりに復活し、一人では荷が重いので守章さんと共同運営することになりました。守章さんは、地元作家の指針とも言える存在で、1996年から活動している、双子の兄弟ユニットです。別名義での活動ではありますが、過去には光州ビエンナーレに参加したこともあり、RAF2017では、出展作家ではなかったものの会期中に自宅(青果店)で展覧会を開いていました。


― 守章さんは、なぜADCを復活させたかったのでしょうか。

有馬 ADCは、「アートは人の心を治療する薬である」をコンセプトに掲げているのですが、それが石巻に合っているということで話を持ちかけられました。私がADCで大切にしているのは、それで生活できるかはともかく、自分のやりたいことを存分にやることです。こうした理念は、自分のメンタルに関係する作品と親和性が高いため、最終的に、犬山のADCでは、作家志望というよりも自己治療を目的とした、内面性を帯びた展示が多くなりました。石巻のADCも、犬山と同じ役割を担っていく可能性が十分にありますし、震災によるトラウマを昇華する場になるかもしれません。けれども、私は石巻の震災当事者ではないので、わかったふりはしないで活動していますし、震災についての作品は絶対につくりません。これからの話はしても、過去にリアクションすることはないと思います。

ART DRUG CENTER 外観

岡本羽衣「Gazing Horizontally/平遠」展 展示風景 ART DRUG CENTER(2019年)

― 若手作家に対して、作家活動についてのアドバイスをすることはあるのでしょうか。

有馬 もちろん、アドバイスをすることもありますが、上からの指導にはならないように気をつけています。というのも、私と若手作家の間にはジェネレーションギャップがあるので、彼らがやろうとしていることを、私が全く理解できないこともあるんです。自分がわからないからといって、「それは違う」としてしまうと、彼らにとって大切なものを壊してしまうかもしれません。ですので、作家本人が面白がっているものを広げて、それをいかに作品にするかという動き方を心がけています。こういったコミュニケーションの取り方をすることで、私も若い人たちの美意識や考え方から学ぶことが多いのです。同時に、作家同士、ライバル関係でもあるので、油断は禁物です。自分がつくるものが絶対に面白いとも思わないですし、年下の彼らが劣っているとも思わないようにしています。
加えて言えば、私はペインターで、内面性に重きをおいて私美術的なものの見方をするのに対して、守章さんは映像作家なので、ものの見方が全く違います。ですので、若手作家には、守章さんからも意見を聞くように促しています。私と守章さんでは、本当に正反対のことを言ったりしますから(笑)。若手作家にとっては、いい環境なのではないかと思います。


― RAF2019では、どのようなことを考えていましたか。

有馬 RAF2017で私が掲げたコンセプト「会期が終わった後も石巻のアートシーンを継続させる」に基づき、この2年間で動きだした石巻のアートシーンを見せることに尽力しました。犬山と水戸のキワマリ荘は自己の拡大を目的に、点を拡大するイメージだったのに対して、石巻では、キワマリ荘という点を他の点と結び、線にするイメージを抱いていて、RAF2019では、「アートロード」と題して、線を引くことができたと思います。
RAF2019の終了後、石巻のアートシーンは、さらなる盛り上がりを見せます。2019年12月には、RAF2019に観客として来ていた平野将麻(当時19歳)が、ミシオに憧れて石巻に移住し、ADCに「メイドルーム。」というスペースを持つことになりました。2020年に入ると、「メイドルーム。」に加えて他のスペースもオープンし、ADCは、1F:メイドルーム。(平野将麻)、2F:KUMAKAN(いぼくま、Kurokuma micco)、ADCスペース(守章&有馬かおる)、キラギロギャラリー(キラーギロチン〈森内一生、岩渕わか菜、石津光、ナカヤケイスケ、岩間智紀〉)、ワクチン(金澤弘太)、MOLE GALLERY -REBORN-(大槌秀樹)、潜ルBLD(後藤拓朗)というラインナップになります。2021年5月には平野将麻が独立し、石巻のキワマリ荘とADCの中間地点に、THE ROOMERS’ GARDENをオープン。3月には、KUMAKANが卒業し、7月より、かんのま子が加わる予定です。そして、2021年6月に石巻のキワマリ荘代表を引き継いだ鹿野颯斗は、RAF2021と同時期に、三つの施設を会場とする別企画を構想しています。
さらに、アートだけではなく地元の文化とつながることも試みてきました。石巻には、歌人や演劇関係者が多く住んでいることから、2020年6月14日〜7月26日にかけて、1公演につき一人しか観客を入れない「のぞき穴演劇PeePing Tom」を石巻のキワマリ荘で開催し、2021年5月9日〜7月25日まで、石巻で若手短歌集団「短歌部カプカプ」を運営している歌人・近江瞬の個展「かさなり」をADCで開催しています(当初は6月27日までを予定していたが、好評のため会期延長)。「のぞき穴演劇 PeePing Tom」を企画した矢口龍汰は、現在、石巻劇場芸術協会として「劇場キネマティカ(複合サブカル施設、石巻のキワマリ荘とADCの中間に建設予定)」設立の準備を着々と進めています。たくさんの点が線でつながり、石巻のアートシーンは面になりつつあると思うのです。

ATHE ROOMERS’ GARDEN 外観


― 都市部と比べると交通アクセスの悪い石巻で活動することについて、どのように考えていますか。

有馬 確かに石巻の交通アクセスは良くないです。移住前には、仙台の近くなのかなと思っていましたが、実際は電車に乗っても1時間以上かかります。犬山も、名古屋から遠かったのですが、石巻から仙台はその倍近くあるのです。そのうえ、石巻は物価が高いわりには、アルバイトの賃金が安くて……。蛇田など、近くの街に引っ越す人も多く、ドーナツ化が進みつつあるので、けっして暮らしやすい街ではないと思います。けれども、どこにいようともデメリットは出てきますから、あまり関係ないと考えています。結局、一番大切なのは、本人がそこにいて楽しいのか、居続ける理由があるのかということ。嫌だったら出ていった方がいいんですよ。時間とお金の無駄ですし、嫌な場所にいつづけると心が病んでしまいますから。その点、石巻のアートシーンでは、作家たちが孤独にならず、関係性を持って切磋琢磨することで上を目指し、互いに幸福度をあげることができています。なによりも大切なのは、そこにいる人が楽しいと思える環境をつくることなんです。
私は、アートに対して、物産展のようなイメージを持っています。現在の日本では、東京でとれたものが流行っているだけで、それぞれの土地に、そこでしかとれないものがあるんです。だからこそ、石巻でしかとれないものが、絶対にあると思います。そんなわけで、私もこの場所でしか生まれなかったものを制作しようと思い、写真を始めました。けれども、絵が描けなくなると写真を撮り始め、写真を撮っていると絵が描きたくなってしまうので、なかなか進みませんでした。最近、デジタル一眼レフを買ったので、写真でもう少し先にいってみたいと思います。


― 今後の展望について、お聞かせください。

有馬 これまでは、石巻の作家を一つにまとめ、シーンをつくることが重要でした。次に取り組むのは、集客や雇用の問題。どうやって人をこの街に呼ぶのか、どうすればこの街にお金を落としにきてくれるのか。それを私が主導できるかは不安ですし、私以外の人が動いてもいいんです。石巻の駅前は、ぱっと見、元に戻っているかもしれません。震災から10年経ち、これまで頑張ってきた人たちはヘトヘトです。もう十分だという声もあります。しかし、震災以前に戻ったとしても、それはシャッター街に戻ったということ。ですから、ここからが本当の始まりなのです。石巻には、廃墟、解体中の建物、新築のマンションが共存し、開発途中で塩漬けになっている場所もあります。いまだに下水管が土砂で埋まっているため、大雨が降ると膝下まで水没する箇所もあります。街全体を楽しくするには、もうひと頑張りしなくてはなりません。この街は、まだまだこれからなんです。

(2021年6月12日・ビデオ通話にて収録)

[1] 「キワマリ荘」の名前は、「絵で極まりそうだなぁ」との思いから、貸し画廊にて計4回発表した「キワマリ荘の住人」展シリーズに由来する。1996年、愛知県犬山市にて住んでいたアパートの名前を大家さんの許可を得て、「キワマリ荘」に改名。ギャラリーやショップなどをオープンする。2007年、水戸に引っ越すことになり、犬山市のスペースを後進に譲り、同年、水戸にもキワマリ荘をつくる。2009年、千葉に引っ越すことになり後進に譲る。水戸、犬山ともに、譲渡後、有馬は運営に関与していない。水戸のキワマリ荘は、2021年5月16日、建物の老朽化を理由に活動を終了した。

[2]  GALVANIZEは、「電気を通して刺激する、治療する、駆り立てる、活気づける、活性化する」の意味。また、トタンは英語で、Galvanized iron、Galvanized sheetである。

[3]  1996~2006年に有馬かおるが、キワマリ荘(犬山)内で運営していたスペース(レンタル、企画)。 アートドラッグセンターは「アートは人の心を治療する薬である」から名づける。2007年に水戸に引っ越すことになり幕を閉じる。10年間に141回の展覧会を開催。リボーンアート・フェスティバル2019より石巻にて復活。守章と有馬かおるによって運営。

TEXT:平澤碧

 

 

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