対談|海老澤功✕荒木慎也―対象/テーマに対する画家の精神性の在処 Text : 荒木慎也

 

本記事は、今年3月に発行した記事「戸川馨✕荒木慎也 元予備校講師と、藝大入試の歴史と文法を解く ―1970年代〜未来への提言」の続編である。
戸川馨氏へのインタビュー後、筆者は新宿美術学院の講師・元講師・卒業生が一堂に会するZoom飲み会を開催した。その席で繰り返し話題になったのが、東京藝大の入試には「流れ」があること、また現行の入試制度には予備校側から見て欠点がある、ということだった。

新宿美術学院といえば、1990年代後半から2000年代前半にかけて、東京藝大油画専攻の入試形態がもっとも自由だった頃に、合格定員の半数近くを独占した予備校だ。油画専攻の合格者数では長らく業界1位の座を守り、現在でもすいどーばた美術学院、湘南美術学院と三つ巴の状況を繰り広げている。そのため、筆者の思い込みとして、新美の講師は東京藝大に強い愛があるだろうと考えていたのだが、Zoom飲み会での東京藝大への毒舌は少々意外だった。
そこで筆者は、新美の講師・元講師の方にフォローアップ・インタビューを行い、新たに記事を作成することにした。今回、インタビューに応じていただいたのは、伝説の「海老澤クラス」で第2次黄金期を作り上げた海老澤功氏と、2020年3月に新美を退職し、先述のZoom飲み会でも一際熱く入試への疑問を語っていた関口雅文氏のお二人である。海老澤氏からは主に藝大入試の流れについて、また関口氏からは私大入試の特徴や藝大入試の問題点について話を伺うことができた。

本ページでお届けするのは、海老澤氏のインタビューである。海老澤氏は過去の東京藝大合格者の参考作品・入試再現作品の写真をファイル化しており、その膨大なファイルを閲覧しながら7時間超にわたって話を聞くことになった。本記事でも、新宿美術学院の入学案内で掲載された合格者の作品図版を適宜引用することで、読者が作風の変化を想像しやすいように配慮した。ただし、海老澤氏のファイル内の作品は公開されていないものも多く、貴重な入試情報でもあるため、本記事での図版の引用は限定的なものとならざるを得ない。その点をご承知いただきたい。

荒木慎也


1990年代の入試
1990年代は油画専攻の入試倍率が最も高かった時代だ。2000人を超える受験生を学内に収容しきれず、試験会場が国技館に変更され、それに伴い、1次試験が木炭デッサンから鉛筆デッサンに変更された。また、画材の制限がなかったため、「デッサン」や「油画」の枠からはみ出すような多様な素材を用いた作品が制作された時代だ。

荒木 先日のZoom飲み会で、入試の流れについて言及されていましたので、今日はそのことについて話を伺いに来ました。

海老澤 今日は1990年代後半、新美の第2次黄金期の始まりくらいから説明しましょう。1996年頃から合格者に入試再現作品を作らせたり、合格者の入試直前の資料を生徒に見せ、講師と共に今後の展開を考える、という作業を指導に取り入れるようになりました。また、当時は絹谷幸二教授が入試を自由にさせろと言っていたこともあって、どんどん新しい表現が入試に入っていました。
私よりもう少し前の世代、川俣正さんがいた直前頃までは、描写力が重視されていて、上手い人から順番に受かっていた。受験生の描写力を富士山にたとえると、富士山の頂点が描写力のトップで、裾野にいって技術が落ちるにつれて人数が増える。その中で8合目より上が受かっていった。
それから野見山暁治先生が出てきて、「石膏デッサンを描けても作家になれるわけじゃない」ということになり、1974年に入試改革を行った。その結果、描写力の富士山の8合目よりも、もっと低い山の頂点が受かりだした。描写力よりもセールスポイントの有無が重要になったんです。
東京藝大の先生は現代美術系の人が多いので、作家的というか現代美術的というか、新しい表現を求めるようになった。その技術が行き過ぎて「これは予備校の入れ知恵だ」と思われると、その反動で素朴な絵が受かり始める。そうやって過激な作品と素朴な作品の流行が順番に来ていた。そのサイクルを何周か繰り返して最後は二極化した。最近はまた混沌としていますが。
入試にはそういう流れがありますので、今日は1990年代半ばから近年までの流れを説明したいと思います。

荒木 1996年は私も代ゼミで油絵科の受験生をしていたので強烈な印象が残っています。

海老澤 当時はよく「質(ファクチャー)」と「場」という言葉で指導していました。もう描写力だけでは受からなくなっていたので、私たちも入試をしっかり分析して、藝大がどういう学生をとりたがっているかを分析するようになった。そこで必要になったのが、独特の画面の質感を獲得すること、または独特な表現の場を作り上げることです。場を作ればどんなテーマの出題が来てもテーマを場に投げ込んで絵作りができる。また、下地で独特なマチエールの質を作れば、「これはどうやって表現しているんだろう?」と先生が面白がってとってくれる。
例えば、1次試験のデッサンで予め額縁のL字型の断片を用意して、フロッタージュにして擦れば、すぐに額縁が描ける。そうやって場を用意して、その額縁の中で課題を表現する。そうすると、藝大の先生は「こんな表現は今までないじゃないか」と反応して、面白いように合格していきました。
それから当時は資料を見ても良かったので、資料を持ち込んでほとんど模写で受かる学生もいました。藝大の先生も「別に資料を見てもいいよ、真似されても俺たちは見抜けるから」というスタンスでしたが、新美には海外のカタログがたくさんありますから、若い作家の真似をしても藝大の先生は見抜けなかったのです。

新宿美術学院の生徒によるデッサン作品。独特なマチエールや写真の周辺減光のような効果で「質」と「場」を作り、
その中にモチーフを落とし込んでゆく。新宿美術学院『1998年度学校案内』より引用。

 

海老澤 それで藝大がまずいと思ったのでしょう。1997年は初日にスケッチブックと原稿用紙を支給してコンセプトを書かせ、それに基づいて描かせることで、2日目以降の予備校の入れ知恵をできなくした。それより前は、1日目の試験が終わると生徒が予備校に帰ってきて講師が入れ知恵して、「お前はこれを描け」という感じで、2日目は1日目に描いた絵を消して描き直して受かった人がいましたから。この年は、藝大の新任の先生が講評でいつもコンセプトを聞いてくるということを知っていたので、試験でもコンセプトを聞いてくるだろうなと読んでいました。それで予めコンセプトを予備校で考えさせていました。

荒木 こういう教え方は、一時期は予備校が受験生に一芸を教えているだけだ、ハッタリで合格したに過ぎない、またハッタリで合格した生徒は入学後に作品を作らなくなる、という批判がありました。私自身も当時油画専攻の助手から直接そういう話を聞いたことがあります。

海老澤 (資料を見ながら)たとえばこの作品はハッタリです(笑)。キャンバスをパレットに見立てて、油絵具を全部パレットに絞り出してきて、中央に鯉の絵を描いて、3日目に画用液の入った大きな油壷を画面にくっつける。

 

海老澤氏が作成した油壺(1997年藝大油画科合格作品の一部の再製作、2014年)。
出典:https://twitter.com/ebisquez/status/1228827633971953666

荒木 これ有名ですよね。

海老澤 この作品のコンセプトは「一見馬鹿馬鹿しいところに真実がある」ということを書き述べたものです。この大きな油壷は私が作ったものですが、アイデアは本人が考えることも多々ありました。たしかに大学に入ってから作品を作らなくなる生徒もいますけど、自分で考えた生徒は伸びると思います。主席で卒業した生徒も、入試のときの入れ知恵は本当に部分的でした。「こうやればできるんじゃない?」と目を惹く技を一緒に考えただけで、そうしなくても受かった可能性は十分にあります。ところが、そのように合格した生徒達の多くが新美出身だというとこで、藝大の先生が反新美で俄然燃えてくるわけです。

 

新技法開発の裏舞台

海老澤氏直筆の、過去に受験生が行ってきた技法の数々(一度、技法講座で特殊な作品を生徒に見せた時、
その他にも色々な作品もあったことの説明のためのメモ。
その他にキャンバスの中央に棚があり、そこに紙粘土で作って彩色を施されたトラ達が乗っている作品などもある)。
キャンバスに土手を作って水飴一斗缶を流し込んだ(後に決壊して会場がベトベトになった)作品は新美生の作品ではなかったが、
「新美が藝大に迷惑をかけた」と新美のせいにされた。

海老澤 油壷だけじゃなくて、随分いろいろなものを作りました。(資料を見ながら)これも画期的な作品で、自動点描機で描いたんですよ。

荒木 自動点描機?

海老澤 私が開発したんですが、昔の電動歯ブラシはピストン運動だったので、そこにホルダーで鉛筆をつけると、1分間に1000回(?)くらい打てるんですよ。横に寝かすと自動ハッチング機になる。ところが、この生徒が1次合格した次の年、何人も使い出すと、試験会場でうるさいので禁止になりました。

荒木 うわあ⋯⋯。

海老澤 それから油絵で木炭が使用禁止だった時は、木炭油絵具を開発したんですよ。木炭の粉をテレピンで練ってチューブに入れて、乾燥させると木炭として使える。油絵具は既製品に限るという規定はありませんでしたから。そんなことをやっていたので、数年後には油絵具と画用液が持参禁止になり、支給となりました。それから腕鎮(ワンチン)が使えなかった時は、軸の非常に長い筆も作りました。25本くらい作りましたよ。

腕鎮の代わりにと海老澤氏が発明した筆。長さが96センチくらいある。
出典:https://twitter.com/ebisquez/status/1142060713201917958

 

海老澤 1998年は、新美から大量に合格して一番過激になった年です。前年も新美から大量に合格したので、情報が漏れているんじゃないかと噂になりましたが、実際にはこっちが読み切っていました。前年のその年にパレットの作品やスルメを埋め込んだ作品が受かっているから、ということで、他の予備校も一斉にコラージュや立体をやりはじめました。それで全体的に一番過激になった訳です。ところが藝大入試では、前の年での合格を受けて、その後流行したものは合格しない。そこで、他の予備校が過激な表現をしてくるのを読んで、この年は敢えてフラットな表現を追求し、読みが当たった年です。
このマグネットの作品を作った生徒は、描写力と画力のある生徒でした。2次試験期間中に家でプラ板にキャラクターとパーツを描き裏にマグネットを貼ったものを徹夜で作って持っていった。ただマグネットだと気づいてもらわないと困るので、わざとキャンバスからはみ出すように配置しました。磁石でやればいいというのは私のアイデアですが、本人がキャラクターを動かしたいと言ったので、基本的には本人のアイデアです。

 

1998年入試の再現作品。キャラクターがマグネット式で自由に動かせるようになっている。
新宿美術学院『2002年度入学案内』より引用。

 

荒木 あとベンジンも流行りましたよね。木炭の粉を水彩みたいに使う。

海老澤 随分流行りました。ベンジンを使うとなぜか受かるんですよ。ほとんど落ちない。藝大の油画の先生は、日本画のようにあっさりしたのとか、水彩の偶然のニュアンスが好きなんでしょうね。今は危険なのでベンジンは使わなくなりましたけど。
1998年には他の予備校も過激なことをやり始めたので、中西夏之先生が試験会場を見て「これはおかしい」ということになりました。「試験が始まった途端に絵を描き始める。予め作品ができているのではないか」と疑われて、1999年から急激に入試が変わりました。
1999年の1次試験(素描)は使用画材の制限はありませんでしたが、異素材を使った絵はほとんど落とされた。新美も1次試験でかなり落とされて、まさしく新美を落とすための入試改革でした。2次試験はアクリル絵具、コラージュ、資料持ち込み禁止、油絵具(木炭、鉛筆、パステルは使用可)になりました。これで新美は駄目だろうと他の予備校からも聞こえてきたのですが、蓋を開けたら最終合格は31名。藝大の先生はショックだったようです。

荒木 それは、新美の指導方針がハッタリではなかった、ということでしょうか? 藝大は一から十まで全部予備校が仕込んでいると思っていたのかもしれません。

海老澤 ちゃんと努力をして描写力をつけていました。描く力にプラスして絵作りをしていくという感じでしょうか。最初はみんな下手でしたが、しっかりついてきてくれました。みんな大学に受かる気で来ていましたし、講師の言うこともある程度信用してくれていたんでしょうね。

 

2000年代の入試
特殊技法・異素材何でもありの90年代が終わり、2000年から大学入試での画材支給が始まる。それとともに、合格作品は予備校で作り込まれた一発技的な作品が減少し、素朴なタッチの作品や、描きこみを最小限度に抑えた軽やかな作風の作品が増える。
2000年代半ばからは入試の振り幅が大きく、動物園や葛西臨海水族園を舞台にした試験が実施されたり、2次試験でスケッチブックが採点対象になるなど、大学側は迷走を極めた。
2006年から取り入れられたスケッチブックは、2008年から審査対象になり、作者の個人史や社会問題をメッセージとして織り込んだ、高度に作り込まれた作品が多く生まれた。

荒木 2000年は「場・空間」ですね。2次試験が水彩と、油絵がセットされた黒い紙筒数本と藝大内で取材したものを組み合わせる。

 

2000年入試の再現作品。特殊な道具の使用が禁止され、油絵具のタッチを活かした作品が多く作られた時代の作品。
新宿美術学院『2001年度入学案内』より引用。

 

海老澤 この年はステッドラーのHの鉛筆1本支給。2001年はガーゼもだめ、擦筆もだめ、袖でこするのもだめ。なので、手に包帯を巻いて(腱鞘炎、捻挫?)いる受験生がいっぱいいました。1次が手渡しの静物で2次で自画像(水彩)と風景(油絵)。結果的に言うと、絵作りしているような上手い受験生はほとんど落とされた。当時は私もあまり入れ知恵するとまずいなと思っていたのであえて教えなかったのですが、みんな優秀なので、格好いい絵を描いちゃうんですよ。それが通用しなかったですね。

荒木 しかしこの時代はずいぶん素朴な絵が受かっていますね。工夫していない、素朴だから受かる、というのも変な話ですが。

 

東京藝術大学合格者の授業作品。構図や色味で少しひねりを利かせつつ、モチーフの実直な描写を売りにした「現場主義」の例。
新宿美術学院『2005年度入学案内』より引用。

 

海老澤 この時期から新美がちょっと苦しくなって。現場主義という言葉が2000年から各予備校で言われたんですよ。作り込まないで素直にその場の光を描けばいいと。目の前にあるものを利用して、イメージに走っちゃいけないと言われていました。だから洒落た絵作りをした絵が落とされました。以前は「藝大はこう考えるだろうからこうしよう」という読みが当たっていたんだけれど、この時期は後手後手になりました。入試の傾向が素朴になって、こちらも教えようがなくなった。教えると洗練されちゃいますから。
2004年の入試では、2次試験は1日目が「大地」をテーマに横たわるマルスを描く。つるつるの紙に0.5mmの油性ペンが支給。2日目の油絵がS12号キャンバスの1日描き。そうやって予備校の対策を封じてから、3枚目の素描は、「明日は油以外の素描用具を持ってきてください、水性絵具を持ってくるように」ということを言ったんですよ。そんなこと入試要項に書かれてなかったので大パニックで、地方から出てきた受験生はどこに画材店があるか知らないから大慌てでした。さすがに藝大も申し訳ないと思ったらしく、それを使わなくても良いことになったんですけど、出題されたのは藝大の茶封筒で、加工してもいいけど切り取ってはいけない、そういう課題が出ました。
私には、この入試変化は「入るための技術じゃなくて、もっと本格的に美術の教育をしろ、予備校の作戦なんて通じないぞ」というメッセージに聞こえましたね。一方で、数年間は素朴な絵が続いていたのに、ここで急に封筒にデッサンをするという現代美術的な出題をしてきた。素朴な生徒を入れてもなかなか伸びないということで、やはりセンスのいい生徒が欲しくなったんでしょう。

 

2004年入試の再現作品。封筒を作品の構成要素とみなし、平面と立体の垣根を越えるような作品が合格した。
新宿美術学院『2005年度入学案内』より引用。

 

荒木 あと他の予備校でもそうでしたが、2000年代前半には、たたきボカシのようにわざと輪郭を決めない、アウトフォーカスにしたような作品が流行りました。

海老澤 あれは2000年以前からある先生が好きで、リヒターが流行っていたこともあると思いますが絵がぶれてるとすぐにとっちゃう(笑) 。

 

2002年入試の再現作品。2000年代初頭には新宿美術学院以外の予備校でもわざとフォーカスを外した作風が流行していた。
新宿美術学院『2003年度入学案内』より引用。

荒木 それから明らかに手数の少ない、数本の線だけで構成されたような作品も出てきますが、「入試は手数」という根性描きの発想は、もうこの頃にはなかったですか。

海老澤 線と色感は良かったけれど、形が取れない生徒がいました。そうこうしていると、藝大のある先生が講評会で「絵なんてカップラーメンを食べる速さで描かないとだめだ」と言っていたという情報が入ってきて「よし頂いた!」と(笑)。その本人は言った記憶がないらしいですが。下地はちょっと時間をかけますが、その間に構成を考えて、あとは線で勝負。

荒木 2000年代後半からスケッチブックが入試で使われるようになります。この時代のことは、私はほとんど知らないです。

海老澤 スケッチブック自体は2006年から、またそれ以前にもありましたが、2008年からスケッチブックが審査対象になりました。スケッチブックはかなり重視していました。2010年頃には新美もかなり気合を入れてスケッチブック対策をするようになりました。例えばこの作品は2010年の「自分の部屋」で、全体をトランクに見立てて、移動可能。「自画像」は、めっちゃ化粧の濃い私、整形をした横顔美人、恥ずかしいから顔を見せられない私、それを投票で選ぶ、という。

2010年合格者の再現作品(画像提供:新宿美術学院)。最初の6枚がスケッチブック、7枚目が素描、8枚目が油彩。2010年の2次試験は、1日目の素描が「自分の部屋」という題で紙箱が画鋲でカルトンに固定されていた。2・3日目の油彩は「自画像」だった。

荒木 物語風になっていて、かなり構成が練られていますね。こんなに作り込んでいたんだ。これは事前にネタを仕込んでいったんじゃないんですか?

海老澤 スタイルはかなり決まっていますが、発想は仕込んでない。この時代はスケッチブックも年間でかなり練習していましたから、話の流れも作れるようになっていました。発想は訓練で伸びます。

荒木 ここまで来ると、スケッチじゃなくてステートメントですよね。思考過程じゃなくて、予め出来上がった思考を説明している。武蔵美の映像科の参考作品に見えます。

海老澤 だからスケッチブック「作品」です。普通作家はこんなスケッチ・エスキースをしませんが、実際には作り込んだスケッチブックが合格していました。それであまりに作り込みがすぎるというので、藝大の方で「これは予備校が訓練しているな」と思ったのでしょう。翌年から中断されました。スケッチブックはその後(2017年~2019年)も出題されていますが、「スケッチブックは自然体でいいんじゃない?」ということになり、2〜3枚軽く描いたのでも十分になっています。

 

2010年代
2010年から、1次試験の会場が藝大に戻る。2011年の1次試験は石膏像。「モチーフをよく見て素描しなさい」という出題だった。複雑化しすぎた入試を一旦リセットしたいという大学側の意思が見える。2010年代前半は、とりわけ1次試験のデッサンで静物を実直に描かせる出題が続き、合格者の傾向も素朴な作品が増えた。
2010年代後半は、言葉と静物を組み合わせる出題、複数の言葉からテーマを選択して描かせる問題、屋外のスケッチとイメージを組み合わせる問題など、徐々に絵作りが可能な出題が増えた。それとともに、新美の参考作品の中に、パウル・クレーの《忘れっぽい天使》のパロディや、ロバート・スミッソンの《スパイラル・ジェティ》を遠方から眺める自画像など、過去の美術作品を引用したハイコンテクストな表現が増える。

海老澤 2011年は、冒頭で申し上げたように、素朴な作品と現代的な作品の螺旋が二極化した時期です。現代美術的にやりきった作品が受かっていて、中途半端なのはみんな落ちた。一方で、他の予備校は、地方から来て何も知らないような雰囲気の、素朴な作品が受かっていました。2013年は石膏デッサンが出て、油絵が人物。この年も「え、こんなのでいいの?」というくらい素朴な作品が合格していました。あんまり素朴な作品が合格するので、私のクラスも素朴風に行こうとしたんですけれど、素朴「風」なのは駄目でした。やはり藝大も経験を積んでいて、見抜く目はあるんですね。

 

2014年度入学試験の合格者再現作品。当時の2次試験は「屋外もしくは屋内を描きなさい」という出題だった。
2000年代初頭の現場主義に回帰したかのような素朴な描写の作品。
新宿美術学院『2015年度芸大・美大入試資料集』より引用。

荒木 2010年代の半ばくらいから、描写を捨てた作品が増えましたね。

海老澤 例えばある生徒は下手だったんですが、1学期であっという間に描けるようになった。それで「描写つまんない」と言って、別の方に進んだ。石膏デッサンは2週間くらいしかやんないです。2週間で強引にもってくる。で、石膏なんて好きではないので自由にやれと言うとこうなる。昔は1年かけて描写を教えていたんですけど、そこも効率的に描き方のコツを教えれば描写力は簡単に上げられる。今は1学期の半分だけで描写力をつけちゃうんですよ。まず講義を丸1日します。注意事項を指導すると、あっという間にうまくなります。あとはもう自由です。描写ばかりやっていたら頭が固くなるので、描写力と発想力を同時に身につけていって、2学期からはもう自由にさせて自分のスタイルを模索していく。

荒木 近年は美術史の知識を前提にした作品になってるのかな。こういった試験の対策で、座学はやっていますか?

海老澤 去年はやりました。美術の大きな流れと現代美術を2日間で。あと講義は結構やります。イメージの引き出し方とか。騙し騙されで、藝大も合格者の取り方が進化してきたな、という感じです。過去はアイデアさえあれば現代美術っぽくできるというのがあったけれど、徐々に通用しなくなってきたので、こちらも素直になって、藝大が言っているように画集や展覧会を見て、描くだけじゃなくてもっと美術史を含め美術の勉強をしてきなさい、というのを実践するようになりました。その流れは悪いとは思わないです。

 

2019年度合格者の再現作品。カラーフィールド・ペインティングを意識した作品。
新宿美術学院『2020年度入学案内』より引用。

 

 

海老澤クラスの指導方針
受験の流れについて説明を受ける中で、気づいたことがある。「傾向」や「絵作り」などの言葉が飛び交う(これは海老澤氏の自虐も混じっているだろう)一方で、個々の学生指導のエピソードを聞くと、講師の言うことを聞かないわがままな生徒の存在がいることに気づく。海老澤氏の指示に従って多摩美に落ちたと主張し、一切話を聞いてくれなくなった生徒、途中から予備校に来なくなって入試直前に突然復活する生徒、何度説明しても理解できない生徒、自分のつくりたい作品がはじめから決まっている生徒など。海老澤氏はそれらの生徒を「不良ちゃん」と呼び、いかに指導が大変だったかを語るが、その口ぶりは楽しそうである。

荒木 先生は生徒のわがままを許しますね。

海老澤 教えてくれって言われたら教えますけど、やだって言われたらハイハイって。こちらは趣味で受験をやっていますから。昔は一生懸命やったけど、無駄な汗だと悟って。私は生徒のところまで降りて、同等にお友達のように接しているので、怒りもしなければ注意もしない。人に迷惑をかけない限り、努力努力というより、いかに絵を楽しくやるか、という感じで、歯を食いしばって努力することはやらないです。

荒木 海老澤さんは教えること自体に喜びを見出しているのですね。

海老澤 生徒がいい絵を描いて評価してもらえるのは、私にとって教える喜びです。昔はいかに藝大に受かるかっていうのが重要でしたけど、今になってみるとそれよりもいい作家になってほしいなと。藝大に受からなくても頑張っていい作家になる人もいますから。そういうところに教えがいがある。こちらは仕事上若い人たちの作品や世界的作家の動向を色々見ていますから、この年でも若い人の感性がわかるので、そういう意味で勉強になるなと。藝大の先生は今の若い現代の作家をあまり知らない。しかし、もし自分が一人で作家活動をしていたら、あるいは藝大の先生にもなっていたりしたら、自分の世界に入り込んで、そんなところには興味がなくなる。

荒木 あと海老澤先生から見て、大学入試はこうなって欲しいという部分はありますか。

海老澤 先ず、受験のルールを統一すること。これがないと受験生が可哀想すぎる。私は予備校と大学がいがみ合う、またはイタチごっこすることが悪いとはあまり思っていない。それでそれなりに進化してきたなと。様々な業界などと同じで、こうやれば必ずヒットするという方程式はないので、簡単に上手ければいいというものではない、と藝大が言っているように感じます。あまり予備校のことを否定して欲しくない、とは思いますけど。ただ私が言いたいのは、もうちょっと指導して、ということです。私大にも言えるのですが、芸術の本質は教えることができないけれど、だからといって教えないのはおかしい。
油絵科の場合は、先生に頼り過ぎると受験でも大学でも上手くいきませんから。自分をしっかり持ち、主体的に行動していかないといけない。でもそこにつけこんで、本人が頑張ればいいだろう、と放任するのとは違う。本質は教えられないけれど教えようとする、先生も生徒もお互いに頼らない、そういう関係が良いのではないかと思います。そういう教育は数週間に1回の講評ではできない。予備校では3学期になると1日に2回くらい講評をする。面接でもかなり時間をかける。全然違います。大学の先生の100倍以上教えている感じがします。一言の重み、価値は大学の先生の100分の1以下だと思います(笑)。

荒木 今日伺った話の中で、予備校の講師が教授の好みを調べ、入試要項を読み込んで、画材はどこまで大丈夫か、何が問われているか、とかなり読みを入れていました。それは小さい予備校で講師が1人、2人しかいないところだと無理じゃないですか。そうすると情報が集まる大手予備校からしか受からない、という流れを作ってしまっているのではないかという気もします。

海老澤 そういう面もあるかもしれません。しかし、藝大の先生は地方を回って「伸びしろのある優秀な子がいるね」と言うんですが、藝大に入っても藝大はあんまり教育しないから伸びてくれないんですよ。「大手予備校から入った学生には予備校の教育が間違っている」と言われた時もあります。私も藝大の教授になったら同じようなことをしているかもしれませんから、人間的には否定しませんが、もう少し藝大と予備校の良い関係はありうるな、とは思います。
伸びしろのある学生も、大手予備校から入った優秀な学生も、優れた作家になれる様に教育して欲しいですね。藝大に入ったら「先ず、予備校で教わった価値観を捨てろ」とか言わないで、その上にプラスアルファの教育をして欲しい。新美は最近の藝大が望む日本の美術界向上のための美術に対する本質的な指導をしているつもりです。そんなこと言われたら「アーティストとして活躍したいなら藝大の価値観を捨てろ」と言いますよ(笑)。

(2020年7月14日、新宿美術学院新宿校にて収録)

次の記事に続く

 

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