インタビュー|高橋伸城「信仰と造形の関係性」
インタビュー|高橋伸城「信仰と造形の関係性」
俵屋宗達、尾形光琳、長谷川等伯、狩野永徳、歌川国芳、葛飾北斎。これら日本美術史を彩る巨匠たちの共通点をご存知だろうか。答えは、日蓮の教え(法華経)を信奉する法華衆であったということだ。昨年12月10日に刊行された『法華衆の芸術』(第三文明社)では、日本美術史に登場する法華衆の作家たちを辿り、彼らの造形に秘められた法華信仰との関係がひもとかれている。その著者であるライター・美術史家の高橋伸城に、執筆の経緯について話をうかがった。
― 「法華衆の芸術」という視座から日本美術を見直すコンセプトに至った経緯について、お聞かせください。
高橋 きっかけは、私が専門としている本阿弥光悦の研究にあります。大学で日本美術を学び始めた頃は、作品の形式的な表現ばかりに目が行っていました。けれども、そうした造形は信仰と切り離せないのではないかと考える糸口となったのが本阿弥光悦だったのです。本阿弥家は熱心な法華信仰の家系だったため、信仰にまつわる数多の資料が残っています。加えて、光悦が出した手紙も400通ほど残っているため、光悦自身も熱心な法華信仰であったことがわかるのです。さらに光悦は、《立正安国論》(妙蓮寺)など、日蓮の著作を書き写した作品も残していますので、これらの資料をもとに、法華信仰は光悦の造形活動にどのように作用していたのか調査を行っていました。
こうした研究に取り組む中で意識するようになったのが、日本美術史には法華衆の流れがあるということでした。葛飾北斎や俵屋宗達など、日本美術の巨匠たちの多くが法華信仰と無縁ではなかったことに気づかされたんですね。ですから、本阿弥光悦の研究と基本的なテーマは同じで、他の絵師たちにも領域(スコープ)を広げたかたちです。
― これまで法華衆の信仰と造形の関係性については十分な議論がなされてこなかったとのことですが、「法華衆の芸術」を論じることの難しさについて、お聞かせください。
高橋 そもそも、「ある絵師の造形活動が信仰と関係していた」という命題自体、学問的に証明することが難しいんですね。寺院の過去帳や、近辺にいた人の証言をもとに、「ある絵師が、ある宗教団体に所属していた」ということを証明すること自体はさほど難しくありません。しかし、描かれた作品と信仰の関係性を示すためには、さらに踏み込んだ資料が必要になるんです。例えば、ファン・ゴッホの場合には、彼のキリスト教(プロテスタント)の信仰と制作について記された大量の手紙が残っているため、プロテスタントの教義と造形活動の間に何らかの関係があったことが推測できます。けれども、法華衆に関しては、この手の資料がほとんど残っていません。
加えて、造形と信仰の関わりを証明する鍵となる宗教的な画題についても、難しさがあります。禅宗など他の宗派の仏教美術の場合には、例えば、猿と月を描いて特定の教えを表すといったルールがあるんです。西洋美術史の考え方ではシンボルと呼ばれるものですね。けれども、法華衆の芸術にはそれが存在しません。さらに、法華衆の絵師たちは、それぞれが独自のスタイルで草花や動物を描いたため、統一されたスタイルすらも存在しないのです。
そして、執筆時に痛感した最大の問題が、「(法華衆に限らず)ある人が信仰心を持っている」と断言することの難しさでした。仮に、「私はこういう宗派に属している」との発言や、「あの人は信仰心が強い」という第三者の証言が残っていたとしても、本当に信仰心があるのかどうかは当の本人にしかわからないことだと思うのです。これは研究対象となる過去の人に限らず、今生きている私たちにも当てはまるでしょう。
また、江戸時代においては、17世紀後半以降に寺請制度が整備されていったことで、今でいう役所の役割を寺院が担っていました。ですから、寺院に所属しているからといって必ずしも信仰心があるとは言えないのです。逆も然りで、表立って信仰心があるようには見えなくとも、本人の中には信仰心がある可能性も拭えません。例えば、尾形光琳は寺院に所属していたものの、そこに残された資料は借金に関わる手紙ばかりでした。この情報だけから判断すると、「光琳は寺院には所属していたものの、信仰心はなかった」と言いたくなるところですが、そう断言することもできないはずです。
― 強いて言うならば、統一されたスタイルが存在しない「法華衆の芸術」にはどのような共通項があるとお考えでしょうか。
高橋 現時点での答えではあるのですが、「法華衆の芸術」の大枠の共通項として、「説明するよりも先に魅了する」ということを考えています。「説明する」は、描かれた内容や意味を解き明かすこと。「魅了する」は、見るものを夢中にさせることを意味します。この二つの関係を考えたときに、「法華衆の芸術」では、まずは見るものを夢中にさせ、その後に、説明が遅れてやってくるのです。その最たる例が、尾形光琳《紅白梅図屏風》などに見られる、文様的な表現でしょう。とはいえ、「法華衆の芸術」に説明が全くないわけではありません。俵屋宗達の《源氏物語図屛風》なども、きちんと見れば、『源氏物語』のどの章の絵ときをしているのかわかります。
私自身、このテーマに取り組み始めた時から、「法華衆の芸術」をどう定義するかについて考え続けてきました。けれども、法華衆の性質を踏まえると、定義することはおろか、「法華衆の芸術」というテーマで書くこと自体が極めて困難だと思い至ったんですね。というのも、法華衆の作品や言葉には美学を定義しようとした痕跡が見当たらないからです。これを象徴するエピソードとして、「琳派」の成立が挙げられます。法華衆であった俵屋宗達、尾形光琳は、現在では「琳派」と呼ばれていますが、彼ら自身は画派(スクール)としての意識は持っていませんでした。後に、法華衆ではない神坂雪佳や酒井抱一が彼らの造形活動を定義づけるかたちで「琳派」という画派が成立したのです。他方、文章を書くことは、否が応でも、何かを定義づける性格を帯びてしまいます。そこで私が心がけたのが、書くという行為において、法華衆のやり方を模倣することでした。例えば、具体的な作品に言及する際には、描かれていることの意味をすぐに説明するのではなく、何がどのように描かれているのかを丁寧にディスクリプションすることに努めました。同様に、『法華衆の芸術』という本そのものでも、中身が読まれる前に読者を魅了すべく、装丁にこだわっています。どこまで成功しているかはわからないのですが、自分なりに法華衆の実践を引き継ぎ、「説明するよりも先に魅了する」本を目指しました。
― 法華衆の絵師たちに影響を及ぼした日蓮の思想についてお聞かせください。
高橋 従来の理解では、日蓮の思想と造形の関係はどちらかというと否定的に捉えられていました。日蓮の著作には、絵画や彫像に関する言及がほとんどありません。現在、残っている日蓮宗のお寺を見ても、国宝、重要文化財に登録されているものは限られています。さらに、日蓮が信仰の対象として信徒に授けたのは文字曼荼羅でした。ですから、日蓮は造形に対して否定的だったというのが、大方の意見となっていたんです。
けれども、日蓮のテキストと法華衆の豊かな造形活動を照らし合わせると、けっして造形を追放しようとしていたわけではないと思うんです。私は、むしろ、日蓮のテキストによって表現が開放されたと考えています。その鍵となるのが、「爾前の経経の心は心のすむは月のごとし・心のきよきは花のごとし、法華経はしからず・月こそ心よ・花こそ心よと申す法門なり」(「白米一俵御書」)という、法華経以外の教え(爾前)と法華経を比較したテキストです。噛み砕いて説明すると、「法華経以外の教えは、心(仏)という一番大切なものを説明するための比喩として、月や花を用いる。対して、法華経では、月や花が、心(仏)そのものとなる」となります。つまり、法華衆の絵師たちは、ある教義を説明するために月や花を描くのではなく、月や花を描くことで教義を実践していたのです。こうして法華衆の絵師たちは、目の前の草木や動物に向き合い、自由な表現に邁進したのでしょう。とはいえ、何を描いてもよかったわけではありません。彼らは、彼ら自身が仏を感じるものを描いていたのです。我見ではありますが、仏を感じるものとは、今の言葉でいえば「美しい」「面白い」と心から思ったものであると思います。
― 『法華衆の芸術』で提示した論点は、今後どのように展開されるのでしょうか。
高橋 定義することがとにかく難しいという前提を踏まえた上で、二つの展開を考えています。一つは、横滑りしていく方法。あえて定義をせずに、とにかく事例を並べていくことで、納得してもらえるようにするかたちですね。現在、考えている具体的な論点としては、外からの目を取り込むことです。アメリカのフリーアギャラリーの俵屋宗達《松島図》、《雲龍図》、メトロポリタン美術館の尾形光琳《八橋図》など、法華衆の作品は海外に渡ったものが多くあります。けれども、購入した側は、彼らが法華衆であったことを知らないはずです。ですから、どういうところに魅力や価値を感じたのか、どういった経緯で海外に渡ったのかを、きちんと調べていきたいと思います。もう一つが、よりディープなところに潜っていく方法です。この場合に鍵となるのは、やはり本阿弥光悦です。日蓮の著作をはじめ、宗教に関係する題材をどう扱ったのか研究を続けたいと思います。
本書では、「法華衆の芸術」という視座から日本美術史を通覧しました。しかし、重要なのは、過去に特定の宗派に属して造形活動に励んだ人がいたことを伝えることではなく、誰もが持っているであろう「祈り」と造形が分かちがたく結びつく可能性を示すことにあったと考えています。ですので、過去の話で済ませるのではなく、今、造形活動に励んでいる人たちにも届くと嬉しいです。
(2021年12月16日・収録)
Photo:宍戸清孝
高橋伸城(たかはし・のぶしろ)
1982年、東京都生まれ。ライター・美術史家。創価大学を卒業後、英国エディンバラ大学大学院で芸術理論、ロンドン大学大学院で美術史学の修士号を取得。帰国後、立命館大学大学院で本阿弥光悦について研究し、博士課程満期退学。
『法華衆の芸術』
高橋伸城 著
本阿弥光悦、長谷川等伯、尾形光琳、葛飾北斎など、国内外に知られる巨匠たちは、なぜそろって法華衆だったのか。一見すると彼らの作品に宗教的な色合いはない。日蓮生誕800年の節目に「法華芸術」という新しい視点から概観する日本美術史論。宮島達男氏(現代美術家)との対談、河野元昭氏(東京大学名誉教授)へのインタビューも収録。
詳細は こちら から