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対談|戸川馨✕荒木慎也―元予備校講師と、藝大入試の歴史と文法を解く

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『石膏デッサンの100年―石膏像から学ぶ美術教育史』重版記念企画

対談|戸川馨✕荒木慎也
元予備校講師と、藝大入試の歴史と文法を解く

―1970年代〜未来への提言

Text : 高城和子(ART DIVERインターン)


2020年3月、元・新宿美術学院(通称・新美)の講師で、現・桜美林大学非常勤講師の、戸川馨氏の自宅を訪問した。戸川氏は1980年から2012年まで新宿美術学院油絵科の講師を務め、日本の美大受験教育の一角を担ってきた、日本の美術教育史の隠れた最重要人物の一人である。
以下のインタビューは、戸川氏が所有する新宿美術学院の初期のパンフレットを見ながら行われたものである。元美術予備校の講師という、発言をしずらい立場にありながら、取材に応じてくださった戸川氏に感謝します。

荒木慎也


「新美調」はいかに生まれたのか?

荒木 私は美大受験を研究テーマとしているため、長らく美術予備校の入学パンフレットを集めてきました。とはいえ、予備校草創期の古い資料はどこにも残っておらず、なかなか手に入れられずにいました。そんな折に、戸川さんが新宿美術学院の創設以来のパンフレットを全てコレクションされていると聞きつけ、これは拝見せねばということで、今日は伺った次第です。私もはじめて見る資料ですので、とても楽しみにしています。

戸川 荒木さんと情報交換をするようになったのはわりと最近のことですが、それ以前からご著書の『石膏デッサンの100年』はもちろん、美術予備校などを取材されていることで存じておりました。ずいぶんニッチな分野を対象とする研究者がいるものだなと(笑)。

荒木 日本のアートを考えるうえで避けて通れない側面ですから、ほかの方がなぜここを研究しないか不思議に思っているぐらいですよ。
戸川さんといえば、私の印象では「ミスター新美」というような方で、とくに1980年代の新美調の成立では重要な役割を果たし、その後も長らく主要講師の一人として新美で指導されていました。受験生だったときにすでに新宿美術学院に通われていて、東京藝大に受かったのが1979年。その後、学生時代から新美の講師として働かれているとか。

戸川 ええ。大学2年でしたから、1980年からでしょうか。当時は予備校生が急に増えて、学生の僕なんかが講師に呼ばれたわけです。

荒木 新美が創設された1970年当時、予備校生は10人いないくらいで、全ての科をあわせた合格者数もわずか3人だったと、当時の講師の方に聞いたことがあります。そこから10年で、急激に生徒数を増やしていったんですね。

戸川 1970年代は、まさに新美が躍進を遂げた10年と言えるかな。新美以前では、1957年にすいどーばた美術学院が創立(創立時はすいどうばた洋画会、1966年に改称)されており、圧倒的な生徒数と合格者数で1960年代の予備校界を牽引してきたわけですが、その牙城をいかにくずすかということで、多くの美術予備校が乱立したのがこの時代でした。
創立当初のパンフレットが、こちらですね。表紙には、システィナ礼拝堂のミケランジェロが印刷されていて、これは昭和の時代が終わるまで新美のパンフレットの特色となります。まだ参考作品も載せておらず、カリキュラムや部屋割りといった最低限の情報のみの掲載です。

荒木 当時は2フロアしかなかったんだ。「冷房完備で涼しく受講できます」「暖房完備で温かく受講できます」の文字がありますが、当時は冷暖房がある予備校って珍しかったんでしょうか。

戸川 さあ、どうでしょうね。ひとつ言えるのは、夏期講習や冬期講習は地方からも学生が呼べるという点で、予備校経営の生命線ですから、生徒集めに力を入れているのでしょう。これはいまでも変わりません。

荒木 なるほど。70年代のパンフレットを見ていくと、年を経るにつれて頁数が増えていって、合格者の参考作品が載るようになってくる。この時代のパンフレットには、芸術を教えているんだという自負を感じるなぁ。実技の問題点として「エスプリは感性の露呈であって、意識による表現ではない」「意識的表現は感性の露呈を表出する要素とは成り得る」なんて書いてある。
それで、表紙がカラーになるのが1974年、中面はまだモノクロですか。あ、川俣(正)さんの作品が載っていますね。

図版:『入学案内』新宿美術学院、1970年(上・中)、1971年(下)。「ムーブマン」「マッス」「フォルム」などの言葉が並ぶ。デッサンの訓練=造形美術の基礎言語の習得であり、また美大受験教育が美術の本道である、という一直線の物語が、まだ主流の考え方だった。

戸川 よくわかりますね。

荒木 川俣さんの作品は有名ですから。当時の『美術手帖』に新美が出した広告にも載っていました。新美は広告を「誌上ギャラリー」と称し、学生の作品を名前入りで掲載していた。学生にとって、そこに作品が載ることはひとつのステイタスだったと、中村政人さんも『美術手帖』に書いています(中村政人「美術系大学受験の石膏デッサンはだれのため?」『美術手帖』1999年5月号、37-41ページ)。その記事でも、この川俣さんのデッサンが使われていました。

図版:川俣正の石膏デッサン(『美術手帖』1974年4月号)。

戸川 こうやって1970年代前半の作品を見ていると、しっかりと描写された作風が中心となっていますね。でも、川俣さんや保科豊巳さんが藝大に受かった1年前の1974年から、石膏デッサンだった1次試験が油彩に変わり構成的な課題が課せられるようになっていく。川俣さんも保科さんも描写系のものをみっちりと練習してきたんですが、実際の受験ではもうちょっと構成的な絵で受かったと聞いています。

荒木 その流れから1970年代末にかけて、いわゆる「新美調」と呼ばれる様式が出てくるわけですね。『石膏デッサンの100年』では「白い石膏デッサン」という節を設けていて、そこでは、「新美調」は「木炭と鉛筆の併用による『白さ』と、石膏像だけでなくそれをとりまく空間を積極的に描くことによる画面構成の工夫だった」と書いています。また、新美調が生まれた背景に、1975年の試験における素描の用具が、「木炭、鉛筆、コンテ(黒)の選択自由(併用可)」と変化したことを指摘しました。

図版:『入学案内』新宿美術学院、1980年。徐々にカラー図版が増え、当時流行していた油絵の色味がわかるようになった。右ページに掲載されたデッサンには、当時流行しはじめた新美調の表現が見られる。

戸川 新美調が生まれたのは、ちょうど僕が新美に受験生として通っていた時期にあたります。1970年代の後半から、御茶美(御茶の水美術学院)で鉛筆による線描のデッサンが流行りだして、それを新美が取り入れて、さらに構成的な要素を追加して、新しいデッサンをつくっていったんです。

荒木 最近、『美術の窓』(2020年2月号)に「ジム・ダイン・フィーバー」という論考を寄稿しました。そこで私は、新美調のルーツのひとつとして、1977年に日本で発売されたジム・ダインの版画集『Jim Dine: Prints 1970-77』を挙げたんですね。その例となるのが、1978年の新美の広告で、掲載されている戸川さんのデッサンがジム・ダインの影響を強く感じさせるものとなっている。

図版:戸川馨の静物デッサン。『美術手帖』1978年10月号。

戸川 たしかに、浪人生のときから受験仲間たちとダインの作品を模写したり、様々なデッサンの実験を行ったりしていました。そして1979年に僕を含めて新美から東京藝大に大量合格したことから続々と追随者が登場してくるわけです。

荒木 1979年には油画専攻だけでも28人の合格者を出している。すいどーばたが21人ですから、まさに新美の黄金時代です。この結果を受けて、1980年の入学案内から合格者の氏名と参考作品が掲載されていくことに。

戸川 そうですね。しかし、合格者を多く出せたのは1980年代前半までで、80年代後半から成績が悪くなっていったんですよ。


合格者数半減から劇的復活の秘策とは?

荒木 ここで二つのデータを挙げたいと思います。一つは、『石膏デッサンの100年』(207頁)にも掲載した主要美術予備校の東京藝大合格者数。二つ目は、新美の東京藝大合格者数の推移です。これらを見ると、1985年には、すいどーばたや新美以外の予備校が合格者数を伸ばし、予備校戦国時代ともいえる状況になっている。新美でいえば、1980年に50人だった合格者数が85年には25人と半減しています。
このように新美の成績が落ちた原因はなんだったのでしょう。

図1:主要美術予備校の東京藝大合格者数

出典:『石膏デッサンの100年―石膏像で学ぶ美術教育史

図2:新宿美術学院の東京藝術大学合格者数の変遷(合格者総数のグラフ)
※グラフをクリックすると、学科別の合格者数の詳細が別タブで開きます。

※本表は、新宿美術学院が雑誌広告等で公表した合格者数を荒木が収集し、戸川が修正して作成した。

戸川 絵の良し悪しで指導するのではなく、参考作品ありきとなって、絵の描き方がシステマティックになっていったことがあります。例えば、はじめにどの色を使って次にどの色を入れるなど、技術がシステム化したことで、誰でも真似ができるようになった。効率よく受験生を鍛えることができた反面、どの予備校生の作品も似てきて、個性がなくなってしまった。そして、似た作風のものは、やはりつまらないし、まとめて落とされたということでしょう。

荒木 1980年代の中頃から後半になると、新美調の雰囲気が薄くなってきますね。

図版:『入学案内』新宿美術学院、1986年、1987年。デッサンではしっとりした中間調が復活し、グラデーションの豊かな階調と鋭い描線を組み合わせた技巧的な作品が目立つ。油絵ではテレピンで薄く溶いた絵具が垂れた跡を意図的に残す「おつゆ描き」が流行していた。

戸川 それまでハイライトを飛ばすなどの新美調の特徴がはっきりしていたのが、この時期になると木炭の幅もしっかり出すようになっている。ある意味、迷走しているのだけど、合格者数を別にすれば、技術的なレベルは全体的に高くなった時期だと思いますよ。

荒木 構成的な新美調のデッサンから比べると、ずいぶんしっとりとしたデッサンだな。

戸川 この時期は再び1次試験が素描に変わり、しかも2枚描かされましたからね。また2次の油彩では人物課題が多く出題されていて、素描、油彩ともに厳しい時代でした。

荒木 合格者のデッサンも上手い。木炭を使う技術はこの頃が一番高かったのかも。油絵は当時流行った典型的な「おつゆ描き」ですね。

戸川 有名なところでは、日本画科に村上隆が合格したり、新美出身ではありませんが会田誠が藝大に入っていったのも、この時期。彼らのように完成度が高い絵を描く受験生が、順に受かっていった気がします。そうしたなか、新美は伸び悩んでいて、指導方法も試行錯誤を繰り返していました。
1993年に油画科の受験会場が上野から両国国技館に変わったことも、大きく方向転換したきっかけになったかな。

荒木 1980年代後半のバブルの好景気のなか、デザイナーが憧れの職業になって、デザイン科志望の学生が爆発的に増えました。それで、試験会場が上野キャンパス内だけでは足りず、なぜか油画科のデッサン試験が上野から追い出されて両国国技館になったんですよね。

戸川 ええ。油画科は石膏像を描いていなかったから、移動しやすかったんです。でも、実際は、国技館は絵を描くにはぜんぜんふさわしくない。しかも、1階の枡席と2階の椅子席では条件がまったく違うわけです。
そこで我々予備校教講師は実際に国技館に足を運んで、作品を描くのに有利になる場所はどこかを考えました。そうすると2階の椅子席の方が描きやすいし、照明も明るいことがわかったので、出願を遅らせて受験番号をあとにすることで、2階で描けるようにしましょうと。

荒木 私は升席で受験しましたが、床に座るのが嫌だからと、椅子とイーゼルを持ってきている人もいましたね。

戸川 さらに、審査がどうも升席の赤い絨毯で行われるというらしいので、予備校の授業でも同じような赤いパネルを用いて、どんな絵が目立つのだろうと調べたり。

荒木 そんなこともやっていたんですか。

戸川 当然、絵を見る条件が変われば、絵の見え方はぜんぜん違いますよね。赤い絨毯をバックにすると白いデッサンのほうが意外と見栄えがいいとかね。
もうひとつは、出題の変化ですね。国技館には大きなモチーフは運び込めないので、出題はひねったものが多くなっていくんです。

荒木 私が受けた年(1997年)も、小さな鏡が支給されて「顔の部分をテーマに描きなさい」という出題でした。

戸川 そういう年もありましたね。当時の我々の考えでは、会場が変わったとはいえ、基本的なことがきちんとできていれば1次試験は受かるだろうというものでした。しかし、その見当は大きく外れ、新美の油絵科の成績はがくんと落ちてしまいます。1994年の結果は本当に壊滅的でしたね。そこで新美は一度死んだんです。そこで、それまでバラバラだった講師が団結して、何が求められているのかを本格的に研究し始めました。
いろいろ調べてみると、我々が考えていたことがまるで違っていた。合格している学生の作品を見ていくと、明らかに「絵」を描いた生徒をとっていることがわかったんです。
荒木さんが受験された年の出題にしても、真面目に自画像を描けばいいというのでもない。そうなると、予備校で鍛えるべきは描写力ではないことがはっきりしてきた。それで、絵を仕上げるという方向に、対策を180度変えたんですね。それが復活のきっかけでした。


描写から作家研究へ

荒木 「絵」を描くために、どのような対策をしたのでしょうか。

戸川 簡単に言ってしまうと、作家研究です。当時の油絵科の試験は単なる描写力勝負ではなくなってしまったので、作家研究を始めたわけですが、とにかく藝大の先生が知らないようなマニアックな作家の画集を買ってきて深く研究しました。

荒木 何年頃から始めたのですか。

戸川 1995、6年ですかね。生徒の絵が似ないようにと、クラス制をとって、クラスごとに切磋琢磨してました。また学生とよく相談して好みや個性を尊重して絵づくりに徹していました。こうした対策が功を奏し、一度は落ちた合格率も一気に跳ね上がったんです。

荒木 このような戦略が他の予備校に真似されていると感じたことは?

戸川 他の予備校は人数が少なくクラス制が取れなかったから、真似しようにも真似ができなかったんじゃないかな。様々な作風の生徒を育成することができないので、ピンポイントで生徒の合格を狙わざるを得なかったと理解しています。

荒木 傾向をばらけさせることが、合格率の上昇につながったのですね。

戸川 ええ。生徒の作風が多様であることは、大コケのリスクを減らします。新美では情報の取り扱いを徹底していて、隣のクラスがなにをしているのかさえ、わからないようにしていました。
さらに、藝大の先生の好みを研究して、そこに刺さりそうな絵づくりを考えていくことで、合格率のアップを狙うこともあります。

荒木 やはり、そういう受験情報は藝大の学生さんとかから入ってくるんですか。

戸川 はい。予備校を卒業した藝大在学生から情報を得ることもあります。人手が足りないので、学生が試験を手伝っていますからね。また、大学は予備校を批判する一方で、そういう受験生を合格させちゃうんですよ。そうすると、予備校としては教授の好きそうな絵づくりを指導せざるを得ません。

荒木 この時期に大きかったのが、1999年に立ち上がった匿名掲示板の「2ちゃんねる」。受験生が試験での出来事を書き込むことが頻発してからは、藝大の教授陣も情報漏洩や予備校対策により一層気を遣うようになった印象があります。藝大側は、いかに受験生に対策をさせないか、という勝負をずっとしてきているような気がしますよね。

戸川 教授にはまったく受験に興味のないタイプと非常に敏感なタイプの人がいて、後者は相当ピリピリしている。予備校にだまされないぞ、というプライドのようなものがあるのではないでしょうか。教授が良いと思って合格させた絵が、実は予備校で研究したマイナーな作家の画風だったこともあったようですから。それで予備校のやっていることは不届きだ、予備校を排除せよとなってしまう。

荒木 「新美つぶし」という言葉があったくらいで。

戸川 その教授がマイナーな作家のことを知らなかったにせよ、それを予備校のせいとか受験生のせいにするのはどうかなと。

荒木 様式研究や作家研究はプロなら必須なので、それを否定するのはどうかなと思います。それに美大受験にかぎらず、世の中に「傾向と対策」があるのは当たり前ですよね。藝大がそれを避けるように入試を作成するのもおかしいと思います。
もっと言ってしまえば、TARO賞にだってヴェネツィア・ビエンナーレにだって傾向と対策はあるわけだし、文脈を踏まえた上で評価される作品をつくるのがプロの仕事じゃないですか。

戸川 ええ、僕もそう思います。これは、「作品とは何なのか」という議論に発展する問題。藝大の教授陣は「原石を見つけたい」という言葉をよく使いますが。

荒木 そこだと思うな、やっぱり!

戸川 教育を受けずとも素晴らしい絵が描けるような学生が欲しいのでしょう。しかし実際合格する生徒の大多数は、しっかりと訓練を受けて、技術力があり完成度の高い作品を描いている。

荒木 藝大側は、心のどこかで「情報に汚されていないピュアな才能」を入試で見つけたいと思っているような気がするな。

戸川 予備校も藝大の意図を汲んだうえで受験生の個性を尊重して真摯に無理なく対策をしているのですが、こういった対策を藝大側は好ましく思っていない。ここに藝大と美術予備校のギャップがある。

荒木 そもそも、「原石」とか「ピュアな才能」といった発想が古い。それが依拠しているロマン主義的な天才概念はさんざん批判されてきたことで、それにもとづいて国立大学の入試をするのはおかしい。

戸川 ここまで考えていくと、美大における入試とはなんだという問いが生まれます。藝大も入試に対して迷走してきた歴史がありますし、それは裏返すと、受験生が藝大に翻弄されてきた歴史でもあるのです。


さいごに〜藝大入試への提言

荒木 2020年の出題で「絵を描きなさい」というのがあって、SNS上で話題になっていましたが、藝大の過去の出題にはいろいろ問題のあるものがありました。例えば、上野動物園での試験はひどいと感じました。当日は雨。屋外での入試だと知らされていない学生もいたから防寒対策もされてなくて、風邪をひいてしまった学生もいたとか。

戸川 あれはかわいそうでしたよ。動物園にはじめに入った学生と、後から入った学生とで描く時間に30分くらいの差が出てしまった。

荒木 予備校の先生が一般人に紛れ込んで入園し、受験生にアドバイスをしたという話も聞きましたが(笑)。

戸川 他の予備校はやったという噂もあるけど、新美はやめようと。そもそも顔が割れているしね。ともかく、合格した人は良いかもしれないけど、不合格だった人のなかにも実力や才能がある人はたくさんいたと思いますよ。

荒木 落ちた生徒は不条理と思うだろうし、納得できないですよね。

戸川 ええ。受験生は自分の培ってきたものをしっかり出して評価されたいわけです。
藝大入試のデッサンでは例年、木炭紙に鉛筆、または木炭という形式がとられていたのですが、突然インクジェット紙と油性ペン1本で出題された年(2004年2次試験)がありました。藝大側は、素材を統一しているから平等だと言うのだけど、受験生は不満に感じますよ。だって、毎年続いていたものが、予告なく突然変わるわけですから。今まで一生懸命練習してきたものはなんだったのかと。臨機応変に対応できる能力が見たい、と言われたらそれまでなのかもしれませんが……。

荒木 意表を突くのと臨機応変というのは違う気もしますが……。

戸川 藝大としては、「油性ペン」といった公平な制約を課したうえで、作家としていかに自分の表現につなげられるか、という能力をはかりたいのかもしれません。しかしそうはいっても、どの素材を使うかも作家にとって重要なポイントではないかと。

荒木 私も同感です。素材の選択は作家性のなかに含まれているものと考えます。それを縛って、なおかつ作家としての自己を表現しろというのは矛盾していませんか。

戸川 ここは議論の余地があると思います。しかも、こうした深い問題を、「大学入試で」「高校生に」課していることにも疑問を感じます。作家としての自己の確立は、大学に入ってから長いスパンで育てていくものですよ。

荒木 はたしてペンで描いた絵から作家性を正確に見極められるのか。作家性をはかりたいのであれば、素材を自由にしたり、ポートフォリオの提出をさせるのがいいのでは。

戸川 「素材自由」なら理解できる。「素材自由」という公平性と、「ペンを1本渡す公平性」とは全然違いますから。今では、面接が行われていますが、僕はこれも反対です。

荒木 一人あたり数分の面接で、一体なにを見ているのでしょうか。

戸川 面接でしかわからないこともあるのでしょうが、数分で見られるのは容姿くらいじゃないかな。先生だって人間ですから、容姿で印象は変わってしまう。

荒木 性別や年齢、容姿や印象を審査基準にしてはまずいですよね。面接を実施するならもっと時間をとって、受験生の話を聞くべきです。

戸川 かつては自画像を描かせることですら、性別と容姿が特定できるので、ふさわしくないといった議論もあったんですよ。手のスケッチでさえ、男か女かわかってしまうと避けられてきた時期もあった。でも、先生が変わって、また出るようになっている……。

荒木 藝大受験者数の男女比と合格者数の男女比については、以前に漆原夏樹さんとのトークイベントで話したことがあります。藝大を受験する生徒数は、圧倒的に女性が多く、女性は受かりにくい時代が続いていた。そういうことから、作品から女性だと判別されてしまうと受かりにくいから、女性が自分の手を描くときは実物よりごつく、顔だったら中性的に描け、などと指導されているんだと。

参考:東京藝術大学の男女別入試倍率
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出典:音声アーカイブ|『石膏デッサンの100年』刊行記念トーク 荒木慎也×漆原夏樹「継承、断絶、誤読―私たちにとって石膏デッサンとは何だったのか!?」
https://artdiver.tokyo/archives/2501

戸川 さらに問題なのは、例年あるのですが、試験会場によってルールが違うことがある。例えばある会場ではアクリル絵の具可なのに別の会場では不可だったり。ひどい時は途中まで制作していた絵の具を剥がさせられた受験生もいましたよ。こういうことは、細かなこともふくめ枚挙にいとまがありません。

荒木 社会自体が藝大に対して過度に幻想を抱いているのではないでしょうか。『最後の秘境 東京藝大』という本でも強調されていましたが、藝大は常識では理解できない特別な人々の集まりだと思いたがる一般認識があるから、このような入試が肯定的に捉えられているのでしょう。受験生からすれば冗談じゃない話ですが。

戸川 美大受験に40年以上関わってきて、疑問に感じる点が本当に多いのです。受験生も、自分のおかれた世界が特殊だからと無理に納得するのではなく、意見はもっと発信して良いと思いますね。
この議題について荒木さんが論理づけて世間に発表したら、社会にも注目され改善に向かうのではないでしょうか。期待しています。

 

左:戸川馨 右:荒木慎也

(2020年3月6日収録)

 

関連リンク
音声アーカイブ|『石膏デッサンの100年』刊行記念トーク 荒木慎也×漆原夏樹「継承、断絶、誤読―私たちにとって石膏デッサンとは何だったのか!?」
音声アーカイブ|『石膏デッサンの100年』刊行記念トーク 荒木慎也×小沢剛「石膏像から学ぶアートの現在」

【本の詳しい内容は、ご購入はこちらから】
https://artdiver.tokyo/?product=sekkou

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