書評・感想|中ザワヒデキ『現代美術史日本篇1945-2014』 文:相嵜颯
装丁にみる「美術史」的方法
美術史の専門書がずらりと並ぶ書店の棚に、ひときわ大きくて目をひく書籍がある。中ザワヒデキの著書『現代美術史日本篇1945-2014』(アートダイバー、2014年、改訂版)である。AB判(210×257mm)は、あまり見かけない判型ではないだろうか。針生一郎『戦後美術盛衰史』(東京書籍、1979年)、千葉成夫『現代美術逸脱史:1945-1985』(晶文社、1986年)、椹木野衣『日本・現代・美術』(新潮社、1998年)など、戦後日本美術史を扱った代表的な書籍はいずれも単行本として出版され、学術書の体裁に沿って重厚感のある装丁に造本されてきた。
初版から改訂版を経て、およそ15年を経た今もなお読者を獲得し続ける『現代美術史日本篇1945-2014』は、「歴史は繰り返す」といった「循環史観」から戦後の現代美術の動向を捉えるアクロバティックな内容のみならず、そのテキストを包む装丁においても特異さを際立たせている。大きめの判型であるために計136ページという専門書にしては比較的薄めの造本。見開きを意識したデザイン。整理されたカラーの図版。表紙には黒地に赤丸、そしてピクセルが積層した中ザワの作品が採用されている。本文テキストは横組で日本語と英語のバイリンガル形式になっており、2段組で和英が隣同士にレイアウトされている。縦組のいわゆる「学術書」の体裁を取らず、初学者でも手に取りやすい「教科書」のような装丁だからこそ、本書の読者層が幅広くなっていることは言うまでもない。かくいう私も美術大学に入りたての頃、美術研究の初めの一歩として本書を手に取った。
ただし、私は今回の書評で単に装丁の美的側面について論じたいわけではない。目的は、本書の装丁、造本設計から中ザワが目指した「美術史」とは何かということについて読み取ることである。中ザワにおける「美術史」に対する思考を装丁に焦点を当てることで浮かび上がらせることが論点となる。
なぜ装丁なのか。まずは本書について分析する前に、中ザワが美術史を取り扱った一作目にあたる『近代美術史テキスト』(1989年)について捉えることで、中ザワにおけるテキスト/デザインの関係性について考えたい。この書籍は1989年に発刊されて以来、25刷(2024年10月時点)となるベストセラーになっている。44ページのポケットサイズでできており、テキスト、図版全ては中ザワの手書きによる構成。美術史のテキストとしてはかなり安価で、単著というよりはZINEを想起させるラフさを伴っている。ISBN、JANコードがないため、インディペンデントな様相を纏っているのも特徴的だ。
フリーハンドで描かれた図版とタイポグラフィ。一つひとつの線には手の微妙な揺れがそのまま痕跡として残っている。中ザワはなぜこのような体裁を取ったのだろうか。中ザワは『近代美術史テキスト』に関して『現代美術史日本篇』で以下のように振り返っている。
同書(『近代美術史テキスト』)全体が美術史のシミュラクルな作品となっていた」のは、真贋のヒエラルキーが意味をなさなくなるというハイパーリアリズム的な意味合いにおいてです。すなわち、同書が美術史の教科書のニセモノとして楽しまれたという事実と、同書がホンモノの美術史の教科書として読まれたという事実の両方が実際に起きていました。
中ザワヒデキ『現代美術史日本篇 1945-2014』アートダイバー、2014年、87頁。
ここでわかるのは手書きで構成された『近代美術史テキスト』は、中ザワにとって「美術史」を「シミュレーション」した一つの「作品」だったということである。
刊行された1989年という時期は、『現代美術史日本篇』で言えば「チャプター6 再現芸術(反芸術)」の時期にあたる。1980〜84年に隆盛した表現主義的な「脱前衛」の潮流に対する一種のアンチテーゼとして、作家の主体性に疑義を呈した動向、つまり「盗用(アプロプリエーション)であると同時に自己同一性(アイデンティティ)の脱構築」[註1]を目指す一連の動向が現れ始めた時期なのだ。
中ザワは本書を発刊した理由として、1986年に刊行された中村信夫の著書『少年アート ぼくの体当たり芸術』(弓立社、1986年)の存在を明示している。中村は西洋の美術動向をコントロールする「アート・ワールド」の存在に焦点を当てながら、日本には西洋ほどの「アート・ワールド」は存在せず、「アート・ワールド」を駆動するほどの「美術史」が確立されていないと主張する[註2]。その主張に対し、中ザワは一つのアンチテーゼとして『近代美術史テキスト』を発刊したと語る[註3]。『近代美術史テキスト』が手書きで書かれたのは「美術史」をあえてシミュレーション的な演出で反復させることによって、日本に「アート・ワールド」を成立させるための一つの中心軸となる「美術史(性)」を表出させることを意図していたと考えることができる。
日本の「アート・ワールド」を世界との相対的な関係性のなかに位置付けられるまでに成立させる。このような世界との「相対化」という目的は、『近代美術史テキスト』が刊行されておよそ25年後に執筆された『現代美術史日本篇』においてより一層顕著になる。
では、『近代美術史テキスト』の発刊後、日本にはどのような「アート・ワールド」が現れ始めたのか。『現代美術史日本篇』によれば、刊行後から『現代美術史日本篇』の出版までの間には長く「多様性の時代」が訪れていた。この時期は「『好きだから描く』を肯定したことによって、再現芸術に通底していた反芸術のドグマが消え去り」[註4]、イズム不在の「多様性の時代」が訪れたと中ザワは述べている。それは、ヒエラルキーやジャンルが平面化した「スーパーフラット」な時代とも換言できる。自身が「反芸術」の作家であることを明示する中ザワは、この期間周りの美術作家とは異なるベクトルで活動を展開した。その一つが「方法主義」(2000〜04)の標榜である。
「方法主義」には大別して二つの意図があり、一つは新たな還元主義の提示による諸芸術の総合ならぬ連繋、もう一つは多様性と快楽主義という状況に対する拒否でした。(中略)状況に対する拒否とは、なしくずし的な「何でも有り」の元凶を規範ならびに権威の失墜に認め、論理の復権から反撃を企てるという、ある意味で新古典主義的なものでした。
中ザワ、前掲書、107頁。
多様性の時代、「何でも有り」の状況に対する危機感から中ザワは「方法」に焦点を当てる。この動機に関して中ザワは「オウム真理教事件でその潜在が暗示されたある種の原理主義性こそ芸術のための芸術として追究されなければならないと直感したこととが挙げられます」[註5]とも述べている。多様性によって生まれたマニエリスムではなく、それとは真逆の、一種の「芸術至上主義」にこそが中ザワは現代美術の展望を求めたのだ。
これらの点を鑑み、私は『現代美術史日本篇』を「方法主義」が展開された果ての中ザワの「作品」と捉えることができるのではないかと考えている。『近代美術史テキスト』の目的であった「美術史(性)」による日本の「アート・ワールド」の醸成は、その後「多様性の時代」を経て、より一層強固な目的として『現代美術史日本篇』において展開されたのではないだろうか。
本書が日本語と英語をバイリンガルの形式にした意図について中ザワは序文で以下のように述べている。
私の考えでは「日本現代美術史」という絶対的なものがあるというよりは、世界の現代美術史に対する相対的なものとして、日本の現代美術史があるのだと思います。(中略)この本を日本語と英語で書いたのは必ずしも読者の範囲を広げたいからだけではありません。日本の現代美術が置かれた、ローカリズムという相対性の場を、最も的確に表す形式だと信じたからです。
中ザワ、前掲書、3頁。
ページを開くと、2段組で左には和文、右には英文が常に現れ、展覧会でキャプションを読むときに似たような心地を感じる。和文を読む視界には英文の気配が必ず混ざり込む。この形式によって中ザワは世界との相対的な位置付けの中にしか現れない日本の「アート・ワールド」を表現しようとする。
また、本書のテキストが教科書体で書かれている点にも注目したい。AB判という寸法も学術書というよりは、「教科書」的形態を想起させる。図版は整理され、文体は難しすぎない。この教科書のような体裁を纏うことによって、読者に美術史的規範を教育的に指し示す姿勢が現れている。その後頻繁に行われる中ザワのレクチャー形式による実践(「中ザワヒデキ文献研究」美学校、多数の大学講義など)は、日本に「アート・ワールド」の輪郭を与えるための必然的な展開と言えるのかもしれない。
本書の装丁は日本の美術界にしっかりとした規範としての戦後日本美術史を根付かせるための、一つの「方法主義」の顕れであり、戦後日本の美術動向を「美術史」的な方法で編むことによって、イズム不在の日本の美術界に再度輪郭を与えることが目的だったのではないか。
規範が失われた時代に危機感を抱く中ザワの根底的な思考が本書の装丁にあらわれている。1980年代後半に起きた日本における「アート・ワールド」欠如に対する問題意識が、そのまま約25年を経て、より一層強固にあらわれているのがこの「教科書」的装丁の由来なのではないだろうか。本書は、これからも美術を学びたい者への「教材」として存在感を放ち続けるだろう。
[注釈]
1 中ザワヒデキ『現代美術史日本篇 1945-2014』アートダイバー、2014年、82頁。
2 中村信夫『少年アート ぼくの体当たり芸術』弓立社、1986年、143-156頁を参照。
3 中ザワ、前掲書、85頁。
4 中ザワ、前掲書、98頁。
5 中ザワ、前掲書、110頁。